えーと、何が、おかしいんだっけ?
私は、息子の言葉にしばらく
どぉ返していいのかわからなかった。
先日の日曜日、
小3の息子はテニススクールで
午前中は、レッスン、
午後からは、練習試合をすることに
なっていた。
「今日のお昼は、
スクールでみんなと食べるやろ?
500円渡すわ。」
と言ったにも関わらず、私は、
すっかり忘れて、
息子にお金を渡すことなく
出かけてしまった。
ま、ここまでは、
我が家ではよくある話。
ぬかりない息子は、
お父さんにしっかり、
500円をもらって出かけたと、
後で、確認がとれた。
お昼過ぎに、携帯をみると、
息子から、五回の着信と、
一通のメールが届いていた。
メールには、
「しやいのおかねもってきて」
と、書いてあった。
あっ、
試合のお金を持たせるのも
忘れてた、
、、やばい。
私は、すぐに息子に電話をしてみた
が、でなかった。
そして、スクールに電話して、
後でお金を持っていきますと詫び、
息子が試合に無事出させて
もらえることに安堵した。
夕方4時ごろ、やっと、
息子と連絡がとれた。
聞くところによると、
お昼を食べていないらしい。
お父さんにもらったお金で、
なぜ、お昼ごはんを買わなかったのか
疑問が残るが、事情は後にして
食べ物を持って急いでスクールに
向かった。
お昼を食べなかった理由を
息子に尋ねると、
「だって、僕、
試合のお金払ってないのに、
ごはん買ってたら、おかしいやん。」
という返答。
「お母さんが後で持って来ますって
ゆうたらいいやん。」
というと、
「払ってないのに、
お金使って食べてたら、
相手は嫌な気持ちになるって。
だから、ぼく食べるのやめてん。」
「・・・・。」
私、この言葉に、返す言葉が
見つからなかったのだ。
今回も求められる瞬時な判断。
どんな言葉を返す?
そこに、追い討ちをかけるように
「あー、その気持ちわかるわ。
私も、前、そうしたわ。」
と、会話を聞いていたお姉ちゃん。
え?何が正しいんだっけ?
何だか、私の大事な感覚が
麻痺している感じがする。
何だか、私の神経の図太さを
認識させられている気がする。
普通に考えたら、
ここは、子供たちの感覚が正しい?
よね?
だけど、もう少し機転を
利かしたいところではないか?
腹が減っては戦はできぬ。
お腹がすいてたら、
試合がしんどいやん。
現実を受け止めて、
ここは、「次なる一手」を
打って欲しかった。
こうして、失敗して、
考えて、対処して行く方法を
身につけながら、現実社会を
生き抜いて行く。
「次なる一手」を持っているのは、
大きい。
私みたいに、失敗が、多すぎると、
「次なる一手」が、どんどん溢れてくる。
そうなってくると、
失敗がそんなに怖くなくなる。
失敗が笑い話に変わっていく。
いわゆる、おいしい話になって、
最終的には、
失敗したことも気づかなくなる。
「・・・。」
あかんやん、
今回も、言わば、
私が失敗した話なのに。
息子は、母の失敗で、
相手が不快に思うことを最小限に
押さえようとした結果、
お腹をすかせて、
試合に出ているのである。
一方、私は、失敗に気づくや否や、
反省より先に、次なる一手を
そそくさと打ってしまって、
罪悪感などは、一瞬だった。
私もずいぶん図太い神経に
なってしまったものだ。
基本に戻ろう。
子供の純粋な世界に
関わっているうちは、
子供を巻き込むような失敗を
したなら、素直に謝らないといけない。
「お母さんが、お金を持たせるのを
忘れてしまったから、悪いねん。
ごめんな。
今度からは、気を付けるわ。」
応用も少し。
「それでも、もし、
同じことが起きたら、
スクールのコーチに
気持ちを伝えて、
お昼を食べれる努力もしてみて。」
子供の純粋な気持ちを
大切にしながらも、
「次なる一手」を打つ方法を
教えることは、
「生きていく力」を
育むためには、欠かせない。
と、やはり、失敗の多い私は、
「次なる一手」を伝えずには
いられなかったのである。
私は、息子の言葉にしばらく
どぉ返していいのかわからなかった。
先日の日曜日、
小3の息子はテニススクールで
午前中は、レッスン、
午後からは、練習試合をすることに
なっていた。
「今日のお昼は、
スクールでみんなと食べるやろ?
500円渡すわ。」
と言ったにも関わらず、私は、
すっかり忘れて、
息子にお金を渡すことなく
出かけてしまった。
ま、ここまでは、
我が家ではよくある話。
ぬかりない息子は、
お父さんにしっかり、
500円をもらって出かけたと、
後で、確認がとれた。
お昼過ぎに、携帯をみると、
息子から、五回の着信と、
一通のメールが届いていた。
メールには、
「しやいのおかねもってきて」
と、書いてあった。
あっ、
試合のお金を持たせるのも
忘れてた、
、、やばい。
私は、すぐに息子に電話をしてみた
が、でなかった。
そして、スクールに電話して、
後でお金を持っていきますと詫び、
息子が試合に無事出させて
もらえることに安堵した。
夕方4時ごろ、やっと、
息子と連絡がとれた。
聞くところによると、
お昼を食べていないらしい。
お父さんにもらったお金で、
なぜ、お昼ごはんを買わなかったのか
疑問が残るが、事情は後にして
食べ物を持って急いでスクールに
向かった。
お昼を食べなかった理由を
息子に尋ねると、
「だって、僕、
試合のお金払ってないのに、
ごはん買ってたら、おかしいやん。」
という返答。
「お母さんが後で持って来ますって
ゆうたらいいやん。」
というと、
「払ってないのに、
お金使って食べてたら、
相手は嫌な気持ちになるって。
だから、ぼく食べるのやめてん。」
「・・・・。」
私、この言葉に、返す言葉が
見つからなかったのだ。
今回も求められる瞬時な判断。
どんな言葉を返す?
そこに、追い討ちをかけるように
「あー、その気持ちわかるわ。
私も、前、そうしたわ。」
と、会話を聞いていたお姉ちゃん。
え?何が正しいんだっけ?
何だか、私の大事な感覚が
麻痺している感じがする。
何だか、私の神経の図太さを
認識させられている気がする。
普通に考えたら、
ここは、子供たちの感覚が正しい?
よね?
だけど、もう少し機転を
利かしたいところではないか?
腹が減っては戦はできぬ。
お腹がすいてたら、
試合がしんどいやん。
現実を受け止めて、
ここは、「次なる一手」を
打って欲しかった。
こうして、失敗して、
考えて、対処して行く方法を
身につけながら、現実社会を
生き抜いて行く。
「次なる一手」を持っているのは、
大きい。
私みたいに、失敗が、多すぎると、
「次なる一手」が、どんどん溢れてくる。
そうなってくると、
失敗がそんなに怖くなくなる。
失敗が笑い話に変わっていく。
いわゆる、おいしい話になって、
最終的には、
失敗したことも気づかなくなる。
「・・・。」
あかんやん、
今回も、言わば、
私が失敗した話なのに。
息子は、母の失敗で、
相手が不快に思うことを最小限に
押さえようとした結果、
お腹をすかせて、
試合に出ているのである。
一方、私は、失敗に気づくや否や、
反省より先に、次なる一手を
そそくさと打ってしまって、
罪悪感などは、一瞬だった。
私もずいぶん図太い神経に
なってしまったものだ。
基本に戻ろう。
子供の純粋な世界に
関わっているうちは、
子供を巻き込むような失敗を
したなら、素直に謝らないといけない。
「お母さんが、お金を持たせるのを
忘れてしまったから、悪いねん。
ごめんな。
今度からは、気を付けるわ。」
応用も少し。
「それでも、もし、
同じことが起きたら、
スクールのコーチに
気持ちを伝えて、
お昼を食べれる努力もしてみて。」
子供の純粋な気持ちを
大切にしながらも、
「次なる一手」を打つ方法を
教えることは、
「生きていく力」を
育むためには、欠かせない。
と、やはり、失敗の多い私は、
「次なる一手」を伝えずには
いられなかったのである。