私事ですが、前回に引き続き、私の略歴の続きを徒然なるままに記します。


先の映像制作会社では、ドレイ(PM)という立場でした。TV局で言うところのADです。


PMの仕事は多岐に渡ります。

予算管理、スケジュール管理、スタッフ管理、枚挙にいとまがありません。

例えばある宝石撮影の現場では、撮影スタジオ内を妖精のように舞う、無数の「埃」達が、その着地点として、撮影物である宝石を選ばないようにウェスや扇風機を用いて徹夜で格闘し(これが私の社会人初仕事でした)、スタジオ内の空気の流れを把握した撮影終盤には、ミスターマリックのマジックのごとく、ケンシロウが聖帝サウザーを破った天破活殺のごとく、触れずとも、埃を宝石から遠ざける気の流れを会得していました。実生活では役に立ちませんが。


ある時、カップ麺のCMで、監督からの、10トンのデコトラを、停車させたまま疾走感を出したいのよという詔に対し、往年のテリーマンのごとく、ひとりで車体を上下左右に力の限り揺り動かして監督OKをもぎ取るなど、映像制作とはちとから大分)違う、亜種の能力が開花しました。こちらも他に何の役にも立ちませんが。


この後、もっとメジャーな作品に携わりたいと、たまたま出ていたポストプロダクション(編集、CGI.VFX.MA、バーチャルスタジオ)の求人に応募し、運良く採用されました。この頃の同僚、上司、お客様とは、有り難いことに、いまもお付き合いがあります。    


ポストプロダクションという場所は、所属しているエディターやミキサーが外部のディレクター達と映像制作の最終工程を行うフェーズで、各分野の職人が集うユートピアでした。

時には技術面のアドバイザーとして、撮影現場に赴くこともありました。

また、当時はクラウドサービスなどなかった時代だったので、世界各地のスタジオと専用端末を用いてオンラインで試写の手配を行いました。(今は笑い話ですが、先方の担当者に、Hell John,とメールしたこともありました)。


現在、料理研究家、空間生活プロデューサー、映画文化の伝道師として、自然体でかつ全力でご活躍されている行正り香さんとも、この頃縁あって知り合うことができました。


生活の拠点を大阪に移し、社労士として企業労務、法務の仕事に就き、早12年経ちます。

今も、職人(経営者)の隣で、私も私の専門性を持って、事業継続のサポートがしたいという気持ちにブレはありません。


セカンドキャリアを考える年頃です。

東京に戻りたいと願いながら、家族の状況を見守ります。


長文となり、失礼致しました。

次回からは。徒然なる労務に関する日常を、ただそこはかとなく書き綴るつもりです。

もっと短くするのでお付き合いください。


宜しくお願い致します。