最近意識していることだがなかなか難しいことがある。

人が読んで一番言いたいことがココロに伝わる文章の文字数は、2000文字前後らしい。

これが言いたいことを説明するのに、十分な文字数であり、尚且つ読み手の集中力が持続する適正な量のようだ。



毎回2000文字程度で終わらせたい。。。。

と、考えて書くのだが、頭に浮かぶ言葉を文章に変換しブワーッと書きなぐると、どういうことか3000文字まで突っ走ってしまう。

僕のいけないところは、


・前ふり?前置き

・主題1

・主題2

・オチ


と言った感じで、更新頻度が空くことや、欲張ってココぞとばかりに主題、つまり言いたいことを2つ放り込む事が問題なのである。



言葉は量が多すぎると、一つ一つが軽くなる。

なので、会話では自分の話す『量』を最近すごく意識し、調度良い言葉の量を意識して中身の『濃さ』というものがある会話を心がけている。

そのほうが相手の心に響くし、会話のキャッチボールが成立するので、相手がコチラの内容をインプットし、そしてアウトプットをするために自分のフィルターをかけるから相手の心のなかにしっかり爪痕を残せるのだ。

会話はココ最近の勉強と実践で、そこそこ上手に進められるようになった気がする。

しかし文章が難しい。。。



はい。ここまでで、約500文字。(・・)
もう前フリはおわらなきゃ。。(笑)


とにもかくにも1つの記事で言いたいことは1つ。

今後は徹底することをお約束しよう。

勝手にしろ!との声が聞こえそうだけど。。。





と、全くもってどーでもいいような話はこの辺にして、本日、記しておきたいことは、

「より良い人生」

なのである。



誰もが思春期と言われる時期や、中には子供の頃でも考える人もいたであろう。

・自分は何のためにいきているんだろう?
・自分は死んだらどうなってしまうんだろう?

などといった答えや結論がなかなか出せないような疑問。



コレに関しては考えに考え過ぎると自分の存在や、生きている事自体に恐怖を感じたりして、「うつ」になりそうになるから多くの人が「考えてもしょうがない」と、考えることを放棄してしまうのがほとんどなのではなかろうか。



しかしながら僕は小学校3,4年。
つまり10歳あたりでその疑問が頭に湧いてからというもの、この30年間ずーーーーっと考え続けている。


ずーっと、と言っても朝から晩まで毎日考えているわけではなく、1年、365日を時間に直すと8760時間。そのうち起きている時間が2/3とすると約5780時間。その中の1%くらい58時間くらい。

そしてそれを30年なので、1740時間は多分考えてきたんじゃないだろうか・・・・。

起きている時間で考えると108日もだ。



あ。

完全に無駄な文字数を使った。。。。(T_T)



失礼。


と、いうことで僕はそういった事を考え続けているであるが、そのなかでも、

「どのように生きたら、死ぬときに幸せな良い人生だったと納得して生きられるのか?」



これは生きるということを考えた時に比較的に容易にたどり着く答え、、、、というか一つの考えでも有る。

「死ぬときに良い人生だったと思える人生を送ること」

コレこそが生きるということの大きなテーマなのでは?と僕も考えた。




では何をすればその「死ぬときに良い人生」だったと思えるのか?

それは「自分のやりたいことをやる。」

これこそが、そのように思える人生を送れるのではないかと僕はおもったのだ。

スティーブ・ジョブズも「自分の内なる声に耳を傾け」とか「今日死んでもこれをやりたいか?」と自問自答を繰り返せとかそんなようなことを言っていた。



なので、17歳の高校3年くらいから、自分のやりたいことをその時々に自分に自問自答し、必死にやってきた。

なので、今、今日のこのタイミングでも、ある程度自分の人生には納得をしている。

だってやりたいようにやりたいことをやってきて、過去の夢や目標はそれなりに現実になってはいる。



では今ボクは死んでもいいのか?

と、問われると人よりは
「いやだー!!まだしにたくねー!!自分はなんもやっちゃいねー!!!」

とまでは思わないが、

「まーしょうがないかな。。。やりたいようにやったし。」

とも思わないのである。



では、人類に多大な功績をのこし、55歳で亡くなってしまったそのスティーブ・ジョブズは亡くなるときに、「まーいっか。やりたいことやったし」と思ったのか?

多分思っていないと思う。



ちょっと前にテレビで竹田圭吾(Newsweek日本版編集長)や、川島なお美が無くなる直前まで仕事をしていて、その様子を見た。


やりたいことをして、そして周りからすればその世界で成功して、それなりの地位まで登ってきた人たちだ。一般的な普通の人生の人よりもかなり密度の濃い人生だったのではないかと思う。


でも彼らの死の直前を見てもやっぱり「まーいっか。ここまでやって納得だ、死んじまうか。。。」とはまったくもってなっていない。



つまりだ。

人はどんだけ密度の濃い充実した人生を送ったところで、死んじまう時に、
「まーいっか」なんて笑顔で死ぬことなんてできないのではないだろうか???



と、思ったのだが、いろいろ考えた結果。
僕は死ぬときに「まーいっか」と思えるかもしれない一つの答えにたどり着いた。

それは

「とにかく出来る限り長生きして、老衰(老衰死)で死ぬこと」

なのではないだろうか??


老衰とはウィキペディアによると、
「加齢による老化に伴って個体を形成する細胞や組織の能力が低下し、恒常性の維持・生命活動の維持が困難になり、多臓器不全により恒常性の維持・生命活動の維持ができなくなること」だそうだ。

つまり老衰とは、老化により、どんどん身体が弱っていき、段々と色々なことができなくなって、最後は何も食べれなくなり、呼吸もできなくなって死ぬのだ。




なんでそんな風に思ったかって言うと、自分で一つ気づいたことが合った僕はあんだけ好きだった「クラブ(ディスコ)」にもう行きたくない。

好きだった頃は朝まで好きな音楽を聞いて踊り狂って、酒を飲んで騒いでいた。

今でもダンスミュージックは聞くし、自分はDJもやっていたからたまにDJ機材も触る。

ただ深夜から朝まで踊り狂うのは「もういいかな」と思う。

なぜ「もういいかな」と思うかというと、加齢により身体的にもうそんなことはキツイのだ。




加齢による体の変化により、体力や身体の強さはどんどんなくなっていく。

つまり、加齢による身体の変化により、僕は好きだったことが出来なることを「まーもういいかな。。」と思ったのだ。



それは食べ放題に行くことなどもそうだ。もう身体が受け付けないから、あまり量が食べれなくとも「まーいっかな」と思うようになった。

昔はそんなことは絶対に思わなかった。


つまり、人は身体がそれを望まなくなると、ストレスや不可を身体に与えないために、脳がそれはもうしないほうが心地よい。したところで不快に思うように作用するのでなかろうか??




ってことは。

その究極、老衰死までいければ、食べ物も食いたくねーなー。息するのもめんどくせーなー。。。
「まーもういいかな。死んだほうが心地いいわ」と、すんなりと、だんだんいい感じに死を納得して、受け入れてくたばれるのではないか??と、思ったのだ。




ただ、老衰死はなかなか難しい。

80代の後半で5.3%
90代の前半で11.0%
90代の後半で18.7%
100歳以上でも31.6%

が死因で老衰の占める割合だ。

100歳すぎても3割という狭き門なのである!



と、いうことで僕は、やりたいことをやりたいようにやったうえで、ストレスは溜めずに、体の健康も維持しそして、出来る限り長生きすることこそが!

「より良い人生だったし、まーもう死んじまっていいか。」

と微笑を浮かべながらくたばれる、一つの答えではないかと言う結論に至った。





さーさー。

そんな結論にいたりながらも、今日は午前中から働いてもう午前2時半。。。。

生き方間違っていますね。(^O^)

そろそろ帰って寝るとしよう。。。
80代後半まで生きないと老衰死を勝ち取るための、テーブルにも付けないし話にもならない。

目指せ100歳オーバーなのである!




と、いうことでみなさんもたった一回の自分の人生。
やりたいことやるのは当然で、そのうえで100歳になって31.6%の勝ち組をめざしましょう!!!







以上3376文字。。。。。 \(^o^)/

布団に入って一人反省会だな。おやすみなさい。。