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後悔のない人生を送りたいとか言う人いるけど、後悔のない人間なんてこの世に存在するのだろうか?

後悔しそうな心持ちな時に、過去の自分を否定するのが辛くて、後悔するのを辞めようと制御する事はあっても、

大人になるまで全ての人生の選択で、正解側を選び当て続けたような人は居ないと思う。


計算してみたところ、二択を26回連続正解する確率は1億3421万7728分の1の確率だ。
日本の総人口に一人くらいの確率。

人生での選択が求められる事はイエス・ノー、マルかバツかの二択をだけではなく三択や五択、十択だってある。

と、考えるともっとすごい確率になる。
だから間違いない選択をし続ける事は出来ない。

つまり後悔は誰もが必ずするのだ。


なので、後悔するのは悪い事では無い。

したところで気にすることなんてないしどうでも良いことだ。( ^ω^ )

そこから

後悔→反省→検証→修正

なんて形で自分を高めたり、成長させるきっかけにもなるから。悪く無いというより良いことだとすら思う。

後悔なんてしていいんだ。
僕なんて後悔だらけの人生だ。

なんで太ってるのにまたこってりラーメンに焼豚丼に餃子と生ビールなんて頼んだろう。。。(´Д` )なんて後悔を数日前ももしてしまった。

何はともあれ、過去を振り返る事は反省→検証→修正につながるので、そういったアクションにつなげられるなら全然良いことだと思う。

前向きばっかり褒められるけど、後ろ向きも多少は必要だ。




なーんて。反省が大切な事だと言う事なんて、きっと僕の周りの優秀なみなさんはよくよく知ってる話だと思うが、

過去を振り返る事で、それ以外にあらたな事が見つけられる事に先日気づいた。


僕はこの2年近く自分の事がなんだかよくわからなくなった。

モヤにかかったのが如く、自分がなにをどうしたいのか?という本質の部分を見失ってしまった。

まーまー。そんな時もあるだろう程度に、その自分探しを悩まず楽しみながら、ここ最近は日々を過ごしていた。

それの一環で少し前に急に思い立って、こんな事をしてみた。

生まれた時からの記憶を遡り、まだ脳の記憶にある3歳くらいの自分から〜小中高校、専門学校の学生時期、そして20代、30代と今まで、自分がその時々に何が好きで、何に興味を持っていたのか?
そして、どんな記憶が強く残っているのか?
なんて事をノートにひたすら描いてみた。

今までも今の仕事や、今の自分をマインドマップなどで書き出してみたりと、今現在のこと、、、

これからやりたい事、目標などを書き出してみる未来のこと、、、

そんな事は書いてみた事は何度もあった。

ただ、失敗という反省以外で、好きな事をクローズアップして過去をじっくり振り返ったのは初めての試みだった。

死ぬ間際にでもすれば良いと思っていた事だったけど、結果的にその死ぬ間際のもっと前にして正解だった。




僕は若い時はリスクテイカーってやつだった。
言い方を変えればギャンブラーだ。

今現在もそう言った部分は全然あるんだけれども、昔に比べたらこれでも少なくなった方だ。

実は30代中盤からは失敗しない、間違えない、負けない事を心がけてきた。

人生は一発勝負のトーナメントではなく、長く続くリーグ戦だ。そこでの勝ち点が大きければ、きっと割と成功したという人生になるのだと思う。

そう考えると勝つことよりも負けない事が、大切に思えた。

となると、近しいところで似たような考えに当てはめると、

「好きな事をやるより、やりたく無いことや不快なことを、やらなくても良いようにする」

これをしておけば、多分人生は普通より悪くなる事は無い。
つまり失敗する確率は限りなく少ない人生になるのだ。


そして、30代も中盤あたりになると、変に経験からの小器用さも相まってその失敗しないやり方は割と簡単に出来てしまう。

これがタチが悪い。

そのせいで結果的に過去の成長速度より自分の成長速度はどんどん遅くなっていく。

ということはどうすれば良いのか?

それは負けない試合(やりたく無い事をやらなくてよいようにする)ばかりではなく、意地でも勝つ試合をする必要があるということだ。

それはやりたいことをする。好きなことをするということだ。




そんな事はわかってるという人が大概だろうが、果たして本当にそうだろうか?

自分の思考とは自分が意思決定してると思っていながらも、実は気づかないうちに勝手に

"脳の仕組み上そのような選択をしている"

ことが多いにあるのだ。


好きだと思っていたものに急に興味をなくしたり、好きだった食べ物が急に嫌いにったり、すごく好きだった人の事を大嫌いになったりと。

そういう経験は誰もがあると思う。

人間は好きになりたいものを好きになるようにできている。

それを好きになった方が楽になるのであれば、人は興味の無い事や、嫌なことでも好きになれるのだ。

奴隷はいやいやながら社畜的に働いている人などが代表的な例だ。

本当は嫌だし辛いことも人は繰り返し続けているとそこから逃げ出すことが出来ても、選んで人はそこに留まる。

しかし、それはやっぱり脳に上手いことやられてしまっただけで実はまやかしなのだ。

きっとそれに気づくのって、クソジジイになって、過去をじっくり振り返った時に、
体が動いてるとき、若い時はこんなだったなー、、なんて若い良かった時の事を思い返した時にハッと気づくのだ。

そうだ!ワシは本当はこうだった!って。しかし、

時すでに遅し。

その時は墓に片足突っ込んだ年老いた自分だったりするのだ。きっと。

死ぬ前気づく事を42歳で気づいたのは非常にラッキーだった。。。。胸を撫で下ろしたってやつだ。




で、僕が自分の本質。自分が好きな事。気づいたこと、わかった事はなんなのか?

と、いうことまで書き出すと、ここまでの倍の文章量になるので、もうやめておく。


ただ一つお伝えしたい。

僕は3歳からスレンダーではなく、グラマーな女が好きって事は40年間一貫していた。(笑)

そこから考えると3歳のガキでも男だったら、自分の好みの女性を性的な目で見てるということは、間違いないということだ。

僕がどうしてもいいたいのは、、

3歳のガキをキモい、怖いと思うのではなく、
40歳のおっさんが女好きでもカワイイと思って見てはどうだろう?。。。と、言うことなのだ。

(´Д` )

あれ?それはダメ?
お後がよろしいようで。

この辺りでドロンしようと思います。



via junpei murakamiの日記
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