さわやかな日々

さわやかな日々

日常とファッションとたそがれと

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帰省して久しぶりに思い出した「こどもアトリエ」。

現代美術家の榊健先生、奥様の陽子さんが運営されていた

美術教室です。

 

先生の情報は特にネット上にはとても限られていて、調べていくと、卒業生の方のブログに行き着きました。そして、皆そこにたどり着くのか、その記事には他の卒業生の方からコメントが多く寄せられていました。

アトリエに通っていたのは小学生の頃ですが、その教育観の影響は誰に対しても大きく、

たくさんの人の原点的な体験になっている事に感動しました。

 

 

そして今日、あの家がどうなっているのか気になったので、

見に行きました。

 

 

北白川から山道に入り、しばらく進みます。

昔は三条京阪に集合して、みんなでバスで向かう途中、

この急に山になる車窓に、“先生ん家に行く感”を感じ、

ドキドキワクワクしていたのを思い出します。

 

見覚えのある曲がり角(動物霊苑の手前)を曲がって、登っていくと、、

 

ありました!!

内装は新しい借り手の方の工房になっていましたが、

外見は当時のまま残っていました。

 

ブルーシートが一面に轢かれ、ギター作りやカロム大会をした小屋。

 

間の通路から裏山に抜けると広場があり、そこで竪穴式住居や基地を作りました。

土器を焼いたりドラム缶風呂に入ったりしました。

 

 

工房の方がお留守だったので奥には行けませんでしたが、

懐かしさが込み上げてきました。

 

 

前の通り。

きれいな水が流れており、ヤモリがいたり、生えている三つ葉を取ってきて囲炉裏で天ぷらにしたりしました。

 

 

 

自分たちの子供にも、あの自然の中での体験やものづくりの楽しさは知ってほしいなと

思います。

今は自分も東京に住んでいるため、空気や、鳥の声だけでも

めちゃくちゃ癒されました。自然いいなああああ。

 

 

 

今日、本屋に行きました。

京都駅の改札出てすぐ、地下に降りるとその本屋はあります。伊勢丹やショッピングエリアが周りにあるその本屋は、がらがらになることはありません。
今日もまあまあの人がたむろしており、「ち、ちょっとすいませんよ」てなそぶりをしながら雑誌を横からとり、後ろを通る人のカバンとケンカしながら本屋タイムを過ごしていました。


スリスリスリ・・・


来たんです。


スリスリスリ・・・


少年でした。


スリスリしています。


擬態語を使わずに説明すると、両膝を使い、本屋の狭い通路を、すり・・いや、ひざ歩きをしているではありませんか。

彼の目線は平積みされた本たちに一心に注がれています。通路が狭かろうが、人がまあまあいようが、関係ないと言わんばかりに。

小・・・4・・・ぐらいでしょうか。ものの分別はつく顔をしています。

しかもですよ

手にはなぜか

チョコバー

じゃありませんか

あのスニッカーズに代表される、おいしいお菓子です。

あれを持って、2スリ→チョコバー→2スリ・・・というローテーションを繰り返しているではありませんか。

もう片方の手はと言いますと

ばかでかい赤を持っています

リュックです

何がパンパンに入った

14型ブラウン管テレビぐらいある赤のリュックを

ずるずると引きずっています


なんなんだこの少年は


もちろんみなさんの視線は一瞬にして彼に、特に彼の膝あたりにそそがれます


彼は、ある本の前で止まり

チョコバー片手にそれを読み始めました

皆さんの視線も彼から徐々に離れます

とここで!

少年のもとに一人の大人が!
やべえぞ少年、注意される

本好きが高じてそんなスタイルになってしまったこと、お悔やみ申し上げるぜ。

でも、人が通れなかったりするしな、そんな移動手段だと

チョコバーで本汚れるかもしれんし

まあ仕方ねえ

泣くなよ、少年!


・・・




!?




大人は、赤リュックをしょいと持ちあげると、別のコーナーへ歩いて行きました。

少年も黙ってついていきます。





・・・オヤジ、いるんかい!!



その後この親子は、鉄道のコーナーに移動し、黙々と、一言も言葉を交わさず、各々に鉄道雑誌を読んでいました。



しばらくすると、少年は鉄道のコーナーに飽きたのか

またコーナーを変えました

少年の消えたコーナーは、「旅行」


近くまで行ってみると、少年、「タビトモ 台湾」を読んでいる。

より近くまで行ってみると、「両替」のページを見ていた。


鉄道・・・台湾・・・カネ・・・言葉を発さない・・・


難民なのか


いやないか。


その後少年は父のもとへ戻り

再び鉄道関係雑誌に目を通していました。

その間僕は

NHK特別取材班 HUMAN

という本をパラパラやっていると

横の方の鉄道コーナーから

以上に早い大小の影が動いていくさまを視界に捕らえました。


いかれた!!


二人のスピードは異常に早く

僕がワンテンポ遅れて外に出たときにはもうその姿はありませんでした。

出ていくときもたぶんなんも喋ってないよな・・・



僕は

あれは神の化身のような何かに近いのではないか

という推測を立てます。


ちょっと遅れた年初めのトレンド占いの神ではないかと。



スリスリ

鉄道

14型リュック

台湾

チョコバー


このあたりで2012年中に、ぴんとくるものがあったとき

僕は震えあがります。










このテーマの記事は、自分で始めた活動について、自分の考えの整理のため書いています。でも読んで下さる方がおられる時のことを考え、できるだけわかりやすく書いていきます。東日本大震災のことで、間違った考え方や良くない言葉表現を使ってしまっているかもしれません。あくまでも僕のいち意見として見て頂ければ幸いです。





日豪絵本プロジェクト。

名前変えましたが、「絵本」で書いていたことです。

ただ、「絵本」プロジェクト、と称していますが、絵本はひとつのステップとして考え、もっと広がりのある活動にしたい、と思ったためちょっと変えました。

もともとの僕のやりたいことが「本をつくる」ということだったので。集めた絵を本にして、本にして、本にして。
そこが一番のポイントだったんです。これまでは。

ただ、そこに目標を置いてしまうと、「自費出版」という形で、お金を出して本にして、東日本の方々を含む、まあ多くても何百人かの方に読んで頂き、ああよかった、で終わってしまいます。

似たようなことをしている(海外から日本の被災地へメッセ―ジを、、!)(被災地の子供に○○を、、!)
活動はいくらでもあり、しかも、子どもたちに向けた、という活動はやはり多いみたいです。

そしていま、それらは、ちょっと問題でもあります。

子供たちに向けた○○→東日本の小学校で○○→小学校の授業時間、休み時間、放課後に○○

現在は学校もなんとか再開し、授業を受けている子供たちも多いでしょう。
そんな「授業ふっかつした!!」の子供たちの、または学校の「時間」が、そういった活動によって使われています。もちろん、その活動は子供たちにとって良い活動なのですが。
そしてその活動は、日本中、世界中から「子供たちを元気に」「震災を忘れてはいけない」などという声とともに、毎日のように東日本にやってきます。

子供たちの時間がなくなってくる
学校で授業が思うように進められなくなってくる
自分たちはもう「普通」に戻りたいのに

そんなことが起きていると聞きました。

僕のような“届けたい”という思いと
現地の方々の思いは、必ずしも一致するわけではないでしょう。




ここで、話をオーストラリアからの帰国からつなげます。

帰国→東京、オーストラリア大使館へ話を→うまくいかず→
西オーストラリア州政府駐日代表さんと連絡をとる→現在

という感じです。
大使館は、日豪の橋わたしには不可欠な存在だ、と、行こうとしたのですが、事前の連絡がうまくいっていなかったり、先方の予定をちゃんと理解していなかったりで、おじゃんでした。へこみました。情けなかったです。

同時に紹介していただいた西オーストラリア州政府駐日代表さんと連絡をとり、というところです。

そうです。

企画としてまったくといっていいほど進んでいません。

メールや考えやだけであれこれやっていても仕方ない。でも、がむしゃらに行動して通用するわけない。そこが社会を感じます。学生なら、がむしゃらで認めてもらえることもあるもんね。


少しの間日本を離れ、震災から時間もたち、僕はいま、“被災地の現状”を知らない。そこにいる子供たちの様子はどうなのか。

さっきも言ったように、「もうほっといてくれ!」の声もあるかもしれない。

それも含め、自分で感じないことには始まらないと思いました。その人がどんな人なのかわかっていなかったら、その人に何をしてあげればいいかなんて、わかるわけありません。


なので、東日本ボランティアに行ってきます。できるだけ早く。いま調整しています。

もちろん、生半可な気持ちではだめ。行くからにはそれなりの気持ちと準備が必要ですね。


プロジェクトとして見れば、遠回りかもしれないですが。



もうほんまに、難しいです。いろいろ。でも預かったオーストラリアからのメッセージは、無駄にできん。何としても。

がんばります。