祖父は、私が小さいときは妹も連れて、地元の博物館、祖父と祖母がボランティアとして働いているネイチャーセンター、
スイミングプール、地元の観光地、いろいろな体験をさせてくれた。
ちょっと短気で、私達が間違ったことをすれば大声で叱りつけたり、いわゆる普通のおじいちゃん。
祖父は天体観測、天体写真を撮るのが趣味で、夏には望遠鏡をセッティングして一緒に星を眺めた。
祖母はいつもニコニコして、私達には全く怒らない。本当に優しい人。
料理は上手で、仕事にしていただけもあって絵も上手、お裁縫も得意、完璧なおばあちゃん。
とても大好きだった。
そんな祖母は体を壊し、いつも日課にしていたお散歩もできない。
家事が一つ終われば1時間ほど横になって休憩して、また家事をして、また休憩。
もうそんな年になったんだと、初めて気がついた。
さらに具合が悪くなって祖母は入院。おじいちゃんが毎日お見舞いに行っていた。
私も一緒にお見舞いに行った。やせ細ったおばあちゃんに驚いた。
おじいちゃん手作りのうどんを食べさせ、たった3本ほど食べると「もういい。」と言って横になった。
ベッドから起き上がることも辛くて、起きている時間が少なくなっていた。
また今年の冬にも会いに行くね、というつもりで「ばいばい」と手を降ったのが
最後になった。
大雪だった冬、帰省のために私と妹を乗せて母一人で運転。大雪のため、高速道路は大渋滞。
仕方なく、下道を利用。通常なら高速道路使って2時間もかからないのに、お昼に家を出た時間からもう8時間だった。
車がなかなか進めないから雪が積もった橋の下で用を足すこともあった。
そんなとき、祖父からの電話が入った。「おばあちゃんの様態が悪化した。これから病院行ってくる。」と。
母は焦りはじめ、イライラしているのがわかった。
ほんの数十分後、また祖父から電話。
「亡くなった。お前らは焦らなくていいから、安全運転でな。」
電話を切ったあと、母は「おばあちゃん、亡くなった。」と呟くように言った。
まだ渋滞の中、まわりは真っ暗で、少ない街頭の明かりでも母が肩を震わせ泣いているのがわかった。
母はすぐに涙をふいて、真っ直ぐに前を見つめ、運転に集中した。
ようやく実家につくと、
祖父が「お疲れ。大変だったな。」と迎えてくれた。
祖父は目が真っ赤だった。きっと、泣いてたんだなとわかった。
母も祖父を見て、私達に聞こえないようにとひっそりと泣いた。
まだその時は私達姉妹は祖母がなくなったことを実感できなかった。
祖母の葬儀は、すぐに執り行われた。私達はまだ子供だったし、葬儀なんて一度も出たことがなくて、
葬儀の段取りなど知らなかった。
後日に父も合流して、葬儀場へ向かった。
火葬のとき。父、妹、私、母、祖父が横一列に並んで、祖母が入った棺が火葬炉に入れられるのを見つめた。
そのときに祖母が亡くなったことを実感した。
大好きな祖母の顔を、優しい声も、もう二度と見ることも聞くことも出来ないんだと分かると、涙が止まらなかった。