「私はこうなる」或いは「私はこうなった」
このように、自分のなりたい状態や、欲しい物を、明確に意識して言葉に出す。
それによって、なりたい状態を引き寄せるーなんてのが、昨今のスピリチュアルブームの中で言われています。
確かに、明確な目標を定めることで、自分の潜在意識にも深く刻まれて、無意識にそこに向かう方向を選んだ言動をすると思うので、あながちスピリチュアルだけとも言えないですが。
ただ、もうひとつ言われているのが、それが「なにがなんでも!」という「執着」になってしまうと逆に叶いにくくなる。
だから、「こうなりたい」と思ったら、後は忘れているくらいがいいんだ・・なんて事も言われます。
でもね、こうなりたいという思いを、忘れるのはなかなか大変。
もちろん、忘れた頃に叶ったり、ということはよくあるけど・・
「こうなるんだ!」と思って、それに向かうのは楽しい事だし、無理に忘れなくてもいいように思うし。
そして、たまに仲間と話すんだけど「どこまでが前向きな目標で、どこからが、叶いにくくなる執着に入るのか」って事。
だいたい、誰も答えが出せない・・
でも、先日、ひょんな事から「なるほど!」と思えた事がありました。
知り合いのお坊さんが教えてくれました。
「それを考えた時に、楽しい気持ちでいられるなら前向きな目標で、苦しい気持ちになるなら、それはもう自分の執着でしょう」って![]()
なるほどー。
凄く単純だけど、凄く分かりやすい判定方法だと思った。
今、こうなりたいって思う事が、いくつかあって・・
それを思う事で、とても楽しい気持ちでいられる事と・・
それを思うと、苦しい気持ちになったり、悲しい気持になる事とに・・
かなり明確に分かれた。
そうか、それはもう、自分の「執着」なんだなー
なるほど!
だから、執着だと思う事については、もう考えるのはやめようと思いました。
逆に、考えていない方が、うまくいくかもしれないでしょ?
うまくいかせたいけど、考えると苦しい気持ちになってしまう事については、こうなったらいいなって事だけ明確にして、後は忘れていた方がいいのじゃないかしら?
楽しく考えられる事は、そのまま考えてワクワクしていると
うん。
納得。
この「前向きな目標」と「執着」の違いって、ずっと疑問だった。
ちなみに、その執着の考え方は、お坊さんが仏教の教えの中から簡単に解釈して教えてくれたようです。
そして、この執着が一切無くなった人が「悟り」を開いた人なのだって。
でも、実際そんな人はいないから、完全に忘れられなくても、自分を責める必要ないって事も教えてくれました。
私は無宗教なんですが、さすが仏教は人の苦しみを救うための教えだけあって、なかなか使える知恵があるものなんだなあと、感心しちゃいました。
そう言えば、昔はお寺さんで悩みを聞いてもらったり、していたんだよねー。
今はみんな、カウンセリングやセラピーや占いを受けるけどね。
その他にも、非常に勉強になるお話も聞けました。
また、ご紹介しますねー