ゼミでの卒論構想発表が近くなって、焦って先生に聞きにいって、流れでいろいろぶちまけた。

今の状態は、去年の春休みの鬱一歩手前の時と似てる。
3秒で泣ける、世界に自分しかいないような孤独感。
みんなから嫌われてる…とか、そんなこっちゃないんです。
遊びに行って騒げば解決!とか、そうはいかないんです。
「きっと今命を絶たれても後悔することなんて何もない」と、思うことそれ自体がダメなんだと思う。
あ、自殺願望はないですよ?笑


いろいろと逃げている自分は認めましょう。
一般的に、普通に、当たり前に、みんなが通る門であっても、自分がそれを苦と思ってしまったら、そこから逃げる。
常習です。
レポート、テスト、受験、就活、etc…。

特に就活なんかは、受験よりも確実性ないし厳しいし、なにより情報戦であるだろうから、周りの関心度も高い。
「受験勉強どう?」と「就職活動どう?」だったら、絶対後者の質問のほうが多かったっしょ?

それなりに苦しんで、就活を終えた、あるいは最中の子たちから見れば、それはそれは苛つく対象でしょうね。
私はこんだけやってんのに、なに遊んじゃって、なに笑っちゃって。
心配とイラつきの成分で構成された忠告を、くれます。
ウェイトは人それぞれですが。


人間誰しも自分に向けられる「悪」感情は好まないと思うので、イラつきが見える発言には不快になります。

逃げている自分が原因であるから、甘んじて受けなければいけないのかもしれないけれど、放っておいてもあなたには何の問題もないでしょ?と思ってしまう。

逆に。

忠告されているうちは、どんな意味でもこちらに関心を向けてくれているのだから、そこに感謝する気持ちがある。

それに純粋な心配に悪い気がする人はいないでしょ?


難しいですよねー…どちらも同時に抱える感情だから尚更。

心配とイラつきを一緒にしているように、こっちも不快と感謝を一緒にしてるし…。

だから、どっちがいいも悪いも正しいも間違ってるもないんだよね。



ちょこっと話がそれましたが。

つまりは逃げた末に心がどんどん逼迫されてしまったわけで。

そのタイミングがいろいろと重なって、今堰を切ってしまうすぐそこまで来てしまったという、ね。



逃げていることが、「悪い」とは思わないけど、「よくない」のは確かであって。

しかし、小学校から培ってきた性格なので、まったく逃げないことは無理です。笑

でも、忠告してくれた子たちと、追いつめちゃった自分の心のためにも、少しずつ立ち向かいたい。


「大切なのは、弱さゆえの向上心」

知ってる人は知っている、高屋奈月原作フルーツバスケットに出てきたセリフ(というかモノローグですかね)。

漫画を読んだのはだいぶ昔なのですが、今でも心に残る言葉です。

弱ったときには、いつもこれを思い出します。


うん。

踏ん張れ自分。


いろいろ思いながら書いてたから…なぁんかまとまりないね^^;