ひとつ手前の停留所で降りたのは予感があったからだ。これまでも何度か感じたやつだ。つまり、いいのか買わないで、珍しく買おうと思ったんだろう。とか、いいのか通り過ぎて、気になったんだろうこの店。とか、そういった動揺。僕は宝くじを買うのに熱心な方ではないし、これまでだって買ったのは数えるくらいなものだ。それだけに、珍しく気になった時は、もしやこれは神の思し召しではないか、などとわりと本気で考えてしまうのだ。いや、まさかそんな天文学的な幸運が容易く舞い降りることはあるまい。そう打ち消してはみるものの、しかし基本的に無関心で来た自分がこのように動揺しているわけだから、これは何かあるのではあるまいか。買わない後悔と外れた後悔とを思ったとき、前者の後悔はあまりに深く大き過ぎるのではないだろうか。などとね、普遍的かつ一般的な優柔不断を繰り返し目をつむる晩秋の夕暮れなのでありました。