
先日の会議の続きがあり、中学生時代に住んでいた町に再び出かけた。
少し早めに出発したのは、懐かしの通りを前回より広く歩いてみたいと思ったからだ。
変哲のない味気のないアスファルト道だけど、
僕は毎日ここからバスに乗って、五橋にある中学に通っていたのだ。
現在ではそのバス停もないし、両側の家並みは高く多くなって、窮屈な通りになってしまった。

この路地の奥に当時住んでた家があった気がする。
道幅は変わらない、昔のままのようだ。
崩れたブロックはいつ頃のものだろう。
僕らが走り回っていたのは、もちろん舗装などされていない土の道だったし、
この辺の家々はどこも木造の平屋だった。

この板の塀から見える大年寺山と仙台放送のテレビ塔の景色は、きっと、当時と同じだろう。
中学生の僕も、この風景を眺めていたのか。
テレビ塔の近くに野草園という植物園がある。
野草園はこの町を離れてから何度か訪れているはずだ。
大年寺山の急で長い石段では、
近くの宮農(宮城農業高等学校)や三女(宮城第三女子高等学校)の運動部の生徒達が、
駆け上っては駆け下り、兎跳びをし手押し車をし、トレーニングに励んでいるという噂があったが、
その姿を見たことは一度もなかった。

かなり歩いたので、お腹も減ってきたしそろそろ会議の時間が近づいてきた。
昼食をとろうと思ったのだが、そういえばこのあたりは当時から食堂の少ない地域だった。
選べるほど数はないけれど、せっかくだからなるべく古めの通りの店にと入ったラーメン屋さん。
手打ちラーメンはシコシコして歯ごたえがあり、思いのほか美味しかった。
はちみつぱいのこの曲を好きな人は、あまり多くないかもしれない。
でも、僕はこういったはちみつぱいが大好きだった。
せんちめんたる通りの夜は幾度も静かに流れ、そして、僕らは何度も恋をした。