
ちくま文庫のつげ義春コレクションが完結した 1巻から最終巻までの順序性には編集者のどんな意図やら思いやらがあったのか 最終巻が60年代に描かれた救われない物語群であることをどう考えればいいのか 今の僕には分からない 改めて感じたことなのだけれど僕は70年代以降のいわゆる「つけワールド」と称される作品が好きなんだなぁ そうした時期を這いつくばってくぐり抜けた人が紡ぐ重さと軽さと鬱陶と淡白と喧騒と静寂 つげ氏の物語は総じてオープンエンドで 余韻をもって完結しない物語には果てしないものを感じてしまう たとえ救いのない貧困や悲惨や不幸があっても 希望とか展望とかそんなパンドラの匣の隙間が残されているように感じてしまうのだ それで僕は物語後のストーリーを想いすごく個別的な自分を手繰り寄せる 絶望の果ての希望 不幸の中の幸福 奈落の底の光 それがつげ式物語の通奏低音