今日は、以前から 書きたかった 記事 専門的ですが お付き合い頂けると嬉しいです。
新潮社【考える人】 という 季刊誌 があります。たまたま 偶然 に本やさんで出会い 手に取れば
2009年 春号は 『ピアノの時間』という タイトル です。
ピアノに関する 様々な 意見が掲載されています。
専門的かといえば ピアノの専門家<いわゆるピアニスト>は ピエール=ロラン・エマール 高橋 祐冶 氏 と 他・・・
で
なんと 言っても クラッシック音楽界では 知らない人はいない 『吉田 秀和』氏のインタビュー他
音楽を専門としない人でも 興味をもって 読むことができる 季刊誌 と 思います。
評論については、 全く私自身 興味がないので 割愛させて頂きますが、
なんといっても先日 グレン・グ―ルドのモーツァルトとシェーンベルク のブログをアップした後に この本に出会い ヒントを頂きましたので<自分の中のもやもやしたもの> その糸口をご紹介させて頂きたく思います。
なぜ 人は 「グレン・グールドの演奏に惹かれるのか 」 という点です。
<私も惹かれる理由の一つとして>
この 新潮社【考える人】 の
『テレビの中の グレン・グールドと吉田秀和の批評』の 最後のページ で、
グレン・グールド について あまりにも的を得ている 表現が 素晴らしい と関心した 下りがありましたのでご紹介です。
1970年代に グレン・グールドがテレビで放映された 直後の評:
「ホロビッツの時は、・・・中略
グールドのは 聞いただけではわからないあるものについて教える。
私にわかった限りでは、なまじこのピアニストについて予備知識を持たず、いきなりあの放送でぶつかった人たちの多くが、いつもより格段に面白がっていたようだが、
それは 音楽を聞こうと武装した心より 素手のほうが そこに <人間>を感じるのに敏感であり、
また<人間の劇>というものは いつも 人を打つようにできているからでは ないだろうか」
「この公衆の席に自分の姿を現すのを拒否しているピアニストは演奏しながら -
中略
ー
私たちに何か見えないものの声をとらえ、それに導かれたり、これと問答したりするようにひいているのが、わかってくるのである」
「この時になって、私はやっと、しかし今度は全く疑問の余地のない確実さでわかった。
中略
かつては知らぬこと、今私たちの見るこのピアニストは普通の健康人というのとはちょっと違うようだが、
その彼の演奏が人を打つのは、彼が異常だからではなく 『それにもかかわらず 』
そこに 一人の人間の全体でかかわっている劇が展開されているからである」
と締めくくります。
偶然に出会う すべてのものに 感動がある時は 必ず そこには その人の そのものの
「劇が展開されて いる」 ということが 確認できるような気が致します。
音楽は抽象的、 録音や映像で 残さない限り 一瞬で消えさる という概念が 他の芸術とは 大きく異なります。
「感動する」 と 一言で いうことは 容易いですが その概念の裏には 様々な 劇が展開されているのです。
ですが 聞き手や 聴衆は その様なことは 全く 「意識」 することは ありません。。
それが 長所でもあり短所でもある 音楽の神髄なのかも知れません。
評論・批評とは そもそも どのような意味をなすのか 分かりませんが 、
この 行を 読んだとき その なぞ も解けてきた気もします。
興味のある方は、是非どうぞ、 偶然の出会いに<この本に出会えた>感謝する今日この頃です。
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