2018年、1月1日、午後1時50分、みける永眠。。
突然、呼吸困難に陥ってしまったみける。呼吸が荒くなり始めてから
ほんの5分くらいの出来事でした。でも、5分も苦しませてしまった。。
パパも私も、ぐったりとしたみけるを抱えながら、大声をあげて
泣きました。あまりにも突然にあっけなく、みけるは行ってしまった。。
私たちはもう動くことのないみけるを抱き上げ、その受け入れがたい現実に
胸が引き裂かれそうになりながら、少しだけ開いていたみけるのお目目が閉じる
ように撫で、ほとんど息ができないくらい泣きました。。
そしてどれくらい泣いていたのだろう。。
気がつくと辺りは暗くなり始めていて。。
少し落ち着いてきたからみけるをふわふわの毛布に乗せて、身体を包み、
みけるが毎日お昼寝をしていたお気に入りの緑の椅子の上に乗せてあげました。
それからはパパも私も、泣く、止まる、泣く、止まる、の繰り返しで、
嘘でしょ?という気持ちと、現実なんだ。。という気持ちが入り混じって
心はもうぐちゃぐちゃで。。あまりにも急でいったい何がどうなったのかも
わからなくてそれをどうやって理解すれば良いのかもわからないまま、
時間だけが過ぎて行き。。。
そして気持ちが少し落ち着いた頃、あらかじめジューくんの為に
決めていた火葬会社の電話番号を調べたり、みけるのお口とお鼻に
コットンを詰めたりしました。
毛布にくるんでいたからか、みけるの身体はまだ温かく、
でも手足などは硬直し始め、硬く冷たくなり始めていました。
そして抱き上げると、とても重くなっていた。。
夜はいつものようにみけると一緒に寝たけれど、あくびは出るのに
眠れなくて。。仕方なしに朝が来るのを待ちました。ジューくんは
みけるが息を引き取ってからはとても静かに眠っていたなぁ。。
朝方(1月2日)、少し眠れそうだったので仮眠を取り、起きてからみけるに
朝のご挨拶をする為にお顔を見ると、右鼻に詰めていたコットンが取れていて
お鼻から血が流れ出ていたので拭き取り、コットンを付け替えました。そして
その後、パパが火葬会社に電話をしました。
アメリカが全部そうなのかはわかりませんが、この辺は火葬に立ち会う
ことはできません。。火葬場へ一緒に行くこともできず、病院か自宅に
お迎えに来ていただくという選択しかできないのです。。パパが電話を
すると、午後12時にみけるのお迎えに来てくださることになりました。
その後すぐに、なぜかお風呂に入って再び歯磨きをしてめちゃくちゃ手を
洗って全身をキレイにして、みけるのもとへ行き、みけるが大好きだった
ブラシでグルーミングし、お顔や身体を撫でたり、抱きしめたりしながら
お迎えが来るのを待っていました。
いつもと変わらぬ寝顔で眠っていたみける。(お写真は生前のもの)
本当に生前と全く変わらぬ、キレイでかわいい寝顔だった。。
12時20分、時々みけるのお鼻の詰め物を取り替えながら
お迎えを待っていると、1本の電話が鳴りました。
パパが電話を取ると、パパは電話の相手に、
「マイケルは昨日、亡くなりました。ありがとうございました。」と。。
「腫瘍科にキャンセルが入ったから3日後に来ていただけます。」という、
キャンセル待ちをしていた病院からの電話でした。。
悲しかった。。悲しくて悔しくて、あともう少し早ければ。。と。。
その後、インターフォンが鳴り、温かそうな毛布が入った
かわいらしいカゴを持った、火葬会社の女性が来られました。
火葬場まで一緒に行けないのなら、せめてお外まで
お見送りをしたい、と、私たちは毛布にくるまれた
みけるを抱いて、その女性と一緒にお外へ出ました。
みけるが乗っていく火葬会社の車の前で説明を受けた後、みけるとの最後の
お別れをしようとしていたら、通りがかりの男性が、火葬会社の女性に、
「うちにも死んだ犬がいるんだけど、ついでに持ってってくんない?」と。。。
静かに首を横に振る火葬会社の女性。そして、
「死ねっ!!」ボソっと日本語で暴言を吐くパパ。
その後、みけるのお顔や身体を撫でながら、いっぱいいっぱいお礼を言いました。
パパも泣きながら「ありがとう。。ありがとう。。」と何度も何度も言ってました。
そして最後に、「絶対にまた会おうね!」って言いました。
輪廻転生。いつかまた会える、また一緒に暮らせる、って私は信じてます!





