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Beautiful Days with Juno

大好きなジューくん(享年18歳5か月)との日々

長文になってしまいますが、これからジューくんの
最期の記録を書かせていただこうと思います。

 

 

ここ最近、寝すぎなんじゃないかと思うほど、

静かに眠る日々を送っていたジューくんパピヨン

 

毎日健やかに眠ってはいたものの、その健やかすぎるジューくんを見ていると、

不安な気持ちでいっぱいになってきました。。ゆっくりといろんな機能が閉鎖

し始めている。。。そんな気がしました。。。そしてDr.カーモディーが

おっしゃった通り、お別れの日が近い、ということを意識し始めるように。。

 

 

だんだん、ごはんの時間になっても気持ちよさそうに眠り続けるようになり、

起きる気配がないので、無理に食べさせるのはやめにして、自然に起きた時に、

それが夜中であっても早朝であっても食べさせるようにし、一日3回だった

ごはんは一日2回になりました。なので、それまではロイヤルケニンの腎臓

サポートT缶を食べていたジューくんですが、少量でも栄養が取れるヒルズの

a/dを与えるようにしました。

 

どこも痛がっている様子も苦しんでいる様子もなく、嘔吐もなければ下痢も

なく、ただただ静かに眠っているだけのジューくん。。でも身体が水分を

受け付けなくなっていき、チーもあまり出せなくなり、少しずつ生きる為の

機能を閉じ始めているジューくんを目の当たりにしながら、いつしか、今、

こんなにも穏やかなら、穏やかなうちに。。このままジューくんが苦しむ

ことなく穏やかなまま旅立てるのなら、もうその日がすぐにやってきても

かまわないと思うようになっていきました。。


今までさんざん頑張ってきたジューくん。。

いったいこれ以上ジューくんが何を頑張らなければならないのか。。

頑張って頑張って最期に苦しみながら旅立つことになるくらいなら、
今この穏やかなうちに逝かせてあげたい。。心からそう思った。。

そして毎日毎日、夜空を見上げ、お星様にお願いした流れ星
ジューくんがもっと長生きできますように。。ではなく、
「どうかジューくんが痛みも苦しみもなく、このままの

状態で穏やかな最期を迎えられますように。。」と。。
いつしか私の願いはただそれだけになっていました。。

ジューくんがいなくなるのはとてもとても辛いことだけれど、
ジューくんが苦しい思いをするのは、私にとってその何十億倍も
辛いことだから。。

そしてコンサートウィークに突入し、あと少しだけでいいから、
私のことを待っていてほしい、とジューくんに私の最後のワガママを
お願いしました。


コンサートの2、3日前には、もう触ってもほとんど反応しなくなり、
もうそろそろなのだろうな。。と。。おそらくあと一週間くらいだと
思っていた私。。それなのにお目目を壊してしまい。。。。。
でもすぐに再生したから、その脅威の治癒力に、まだ生きられるかも?
とささやかな希望を持った私に、現実的なパパは
「どう見たっていつ死んでもおかしくない状態だよ。期待しないほうがいい。。」
と。。
 

旅立つ3日前、もう好きなものも食べさせてあげようとチキンをあげてみると、

お口を開けました。でもその動きはとてもゆっくりで、その時はもうお口を

開ける力さえも衰えているような感じでした。

 

そして最後のコンサートの日には、昼間はシリンジでごはんを食べたけれど、
夜、軽い眼振があったらしく、夜ごはんは食べずに、私が帰ってきた頃には

自力でチーを出す力もなくなっていて、私たちが手で出してあげました。。

最後のコンサートが終わるまで待っていてくれたジューくん。

これで、たとえあと一週間でも、ジューくんに付きっきりの毎日を送れる。。
最期の日まで、ありったけの愛情を注ぎ続けよう!と思っていました。

その翌日(日曜日)、引き続き穏やかに寝ていたジューくんですが、

もう完全に身体が水分を受け付けなくなっているのか補液量を減らした

もののお首にまで浮腫ができ始め、その日は舌にも力が入らずお口も

開けられなくなっていて、ごはんはもちろんのことシリンジでお水を

あげても飲めなくなっていて。。ブログを更新し、数時間後の夜中の

2時にジューくんが突然の下痢。。もうダメだ。。。と思いました。。

 

亡くなる直前に起こる症状の下痢なのだと。。。

でもその症状の一つである身体からの硫黄のような

匂いはまだしていなかった。

 

パパは、「2日うんちをしていないのに下痢ってことはもう身体が

水分を吸収していないってことだ。」って。。。でも結局その後も

ジューくんはスヤスヤ眠っているだけだったので、死直前の下痢では
なかったことに少し安心し、なんとか病院が開く明日まで。。

Dr.カーモディーに診ていただける月曜までもってほしい。。。

と心の底から願いました。

お目目に当たっては大変だからと、ジューくんがデスメ膜瘤になってからは

極力抱っこするのは控えていたけれどその時は居た堪れなくなり、ジューくんを

抱っこすると、私の着ていたセーターにいっぱいチーをした!

 

「チーしたーーーっ!!自力で!!」とパパに言った。
セーターはチーまみれになったけれど、涙が出るくらい嬉しかった!!

心のどこかで、明日栄養点滴をしてもらえばなんとかなる!と思っていました。。
一週間でいい、あと一週間だけでいいから、あなたと毎日一緒にいさせて。。。

と、またジューくんにお願いしてしまった。。

そして月曜日の朝、ジューくんは生きていました!
少しホッとしたけれど依然状態は変わらず。。お水も飲めないままで。。
ただ痙攣も眼振もなく、鳴くわけでもなく、いつものように呼吸も
落ち着いていて、とにかく穏やかでした。。でもこの時、ジューくんの

命のタイムリミットはもう限界に達していたのかもしれません。。

 

それなのに私は、

「栄養点滴してもらって元気になってもう少しだけ
ママと一緒にいてね。。」心の中でジューくんに
そう言いながら午後2時予約のDr.カーモディーのもとへ。

「病院まで持つかなぁ?」とパパ。
「持つよ!!」若干怒りながら答える私。

そして無事に到着するとすぐに診察室へ案内され、いっぱい書いてきた
質問の紙を握りしめ、とにかくDr.カーモディーに診ていただきました。

まずはお目目をチェックしてくださり、目玉焼きの上に乗っかっていた
目やにをキレイに取ってくださると、前と同じ目玉焼きが現れ、
「大丈夫!前と同じ状態だよ!」と笑顔で言われ、ひとまずホッとしました。

 

その後、チーが出にくいということでジューくんのペニスをチェック。。
その時のペニスの色は少し前までのピンク色ではなく、白くなっていました。。

次に歯茎を見ると、歯茎も白く。。みけるが亡くなる前と同じでした。。。


でも舌だけはまだピンクでした。。


そして次にジューくんのおなかあたりに聴診器をあて、Dr.カーモディーは
ずっと黙ったままで。。その後、助手の方に何かの数字を伝えていましたが、
いつもにこやかなそのお顔はかなりこわばっていて、私たちに緊張が走り、
得体の知れない恐怖が私を襲いました。。。
 

今までジューくんを応援してくださったみなさま、

本当に本当にありがとうございましたはあと

 

みなさまからのたくさんの温かいコメントを、

号泣しながら読ませていただきました泣

 

春になり、湖の氷が解け、またジューくんと一緒に湖へ行く、

という夢は叶わなかったし、最期はおうちではなく病院でしたが、

毎晩お空を見上げてお星様にお願いしていたとおり、旅立つ日まで

ジューくんが穏やかに、そして旅立ちの時は私の腕の中で安らかに太陽

という、私の一番の願いを叶えることはできましたおやすみ

 

 

昨夜は久しぶりに私のベッドでジューくんと一緒に寝て、

今日の夕方、みけるの時と同じ火葬業者の方がお迎えに
来てくださり、ジューくんをお見送りしました涙

 

みけるの時は順番待ちがあった為に火葬が遅くなったようですが、
ジューくんは明日の早朝(7時〜8時頃)に火葬される予定ですハート

日本時間の2月14日、バレンタインデーの夜10時から11時頃、
ジューくんはお空へ向かうので、きっとハート形のお星様になりますはぁとv流れ星

その時間帯にもしもお時間のある方がおられましたら、
よかったらお空を見上げてあげてくださいませ月

明日、みけるがジューくんを途中まで
迎えに来てくれるといいなぁ安心

これまでにたくさんのジューくん介護録をこのブログに書いてまいりましたが、

少し落ち着いたら、ジューくんの最期の記録を書かせていただこうと思っていますハート

もう一度、

ジューくんを愛し、応援してくださったみなさま、
本当に本当にありがとうございました!!

ジューくんもみけるもパパも私も、
みなさまのことが大好きですハート2ハート2ハート2

どうかみなさまに、わんこ&ニャンコ、そして小鳥ちゃんや
ウサギさんも含め、たくさんの幸せが訪れますように太陽太陽太陽