ここ最近、ずっと穏やかな日々が続いていたジューくん。
土曜日はジューくんのトリミングの日でした。
いつもジューくんを担当してくださっていて老犬のトリミング経験も豊富な
デイビッドは、今のジューくんの状態や私たちがホスピスを選んだこと、
ドクター達がそれをサポートしてくださっていることなどジューくんの全てを
知った上で、トリミング部門でのサポートをしてくださることになっていました。
そして一応車椅子も持って、いつものようにデイビッドのところにジューくんを
連れて行き、いつものようにほんの1時間ほどで私たちが介護をしやすいように
キレイにカットしてくださり、何気なく椅子の上に置いていたいつもの持ち運び用に
使っている小さなベッドに丁寧にジューくんを置いてくださり、私たちはジューくん
が寒くないようにと温かい毛布でくるみました。
その後、私は支払いをしに、パパはジューくんにオムツをつけようと
準備をしかけたその時、悲劇が起こりました。ジューくんから目を外した
ほんの3秒くらいの間に起こってしまった出来事です。
デイビッドが「Be careful!!」と言うので、ジューくんのほうを見たと
同時に、ジューくんがベッドごと椅子から床へと滑り落ちたのです。。
ベッドを置いていたレザー製の椅子の真ん中が少し盛り上がっていて。。
私は叫びながらジューくんに駆け寄り、見てみると、それまではお目目パッチリ
だった左目が開かなくなっていました。。パパは「左目が開かない。。左目が
開かない。。ごめんね。。ごめんね。。」と泣きそうになりながら何度も何度も
ジューくんに謝っていて、激しく動揺していました。私はなぜか冷静に、とにかく
病院へ、と思い、そこから一番近い「救急病院へ急ごう!」と言ったような気が
しますが、正直その時の感情はよく覚えていません。ただ手だけは震えていました。
救急病院に到着し、問診票を書いた後2時間も待たされ、やっと現れたのは大学を
卒業したばかりとも見受けられる女性ドクターでした。私たちはそのドクターに、
ジューくんが椅子から落ちて左側を打ち付けたようだから診て欲しい、特に左目が
開かなくなっていて。。と説明をしたのですが、ドクターは問診票に書いていた
腎不全の説明や角膜潰瘍とはどういうものかなど、今の事態とは関係なく、私たちが
既に知っているような基本的なことについてペラペラと説明し続けるので、これでは
時間の無駄だと思い、話を切り上げて無駄なお金を払い、すぐにいつもの大学病院
へと車を走らせました。夜間や週末などの救急部門には学生や研修医しかいないと
わかっていましたが、とにかく、行ってみることに。
そこですぐに診察をしていただき、ジューくんの眼球が潰れていることを
知らされました。お話を聞いているうちに途中から手で顔を覆い始めるパパ。
ドクターのお話では、状態からして今物凄い痛みを感じているハズだと。。
眼球全摘出か眼球を残したままの手術、もしくは安楽死しかない。。。と。。
眼球摘出は30分〜1時間程度の手術で麻酔時間が短いけれど、眼球を残したままに
する手術は3時間くらいかかり、麻酔時間も3時間になってしまうから、持たない
のはほぼ確実だろう。。かと言って手術をしないでお薬で治すにもこの痛みでは相当強いお薬になるから内臓に凄く負担がかかるし、この感じではお薬など効かないかもしれないからもう手術か安楽死の二択しかない、という説明でした。
「手術なら眼球摘出のほうが$3000くらいで眼球を残すよりも費用が安いし、
麻酔時間も短いと思うけれど、それでもこの年齢では麻酔から覚めるかどうか。。
私は眼科医ではないので詳しいことはわからないから眼科の専門医と話し合うほうが
いい。でもここは週末は眼科医がいないし手術もできない。月曜まで待っていては
目が感染症になるから、手術をするのであれば隣の州の大学病院を紹介するから
今すぐに病院へ向かったほうがいい。もしくは安楽死。。」と、私たちは手術か
安楽死の二択しかない状況に迫られました。。
生きられる見込みのない手術か安楽死。。
安楽死だとジューくんがいなくなってしまうのは確実。。手術であっても
ジューくんが麻酔から覚める確率は極めて低い。。。でも早くどちらかを選ば
なければ激しい痛みが続いてしまう。。。まさに究極の選択でした。
パパも私もその場で泣き崩れました。
私は、泣いている、しかも声をあげて号泣しているパパを初めて見ました。。
ドクターは席を外してくれ、私たちに考える時間を与えてくださいました。
そしてまたドクターが入ってきたけれど、まだどうしても決めることが
できないでいる私たち。。いったいそれを何度繰り返したことだろう。。
最後にドクターが入ってきた時にパパが私に「どうしたい?」と聞きました。
私は涙を流しながら「決められない。。」とつぶやいたその時でした。
突然、車椅子に乗ったままじっとしていたジューくんがスイスイと歩き始め、
私たちを驚かせました!本当にスイスイと普通に診察室内を歩きまわっていた。。
まるで「ぼく歩けるから安楽死させないで。」と言っているかのように。。
もしくは力を振り絞って、最後にもう一度歩く姿を私たちに見せたかったの
だろうか。。
それをポカンとあっけにとられながら見ていた私たちでしたが、そのうち
スイスイと進んでいたジューくんが壁にぶつかりそうになったからパパが
途中でそれを手で止めました。
そしてパパがドクターに、「安楽死も手術も同じ麻酔なのですよね?もしもこの子が
それで亡くなるとしたら、手術にしろ安楽死にしろ、どちらも同じように全く痛みを感じずに、眠っている間に死ねるのですよね?」と尋ねました。
ドクターは「そのとおりです。」と答えました。
するとパパは、「それならば、たとえ1%でも生きられる可能性のある
手術を選びます。」とドクターに言いました。
休日に手術ができる大学病院は車で東京〜名古屋を過ぎたあたりくらいの距離の
ここから東へ行ったところか、東京〜大阪くらいの距離の南へ行ったところの
二箇所だったので、私たちはできるだけ早く到着できる、東の大学病院へ向かう
ことに決めました。
ドクターに東の大学病院に電話をしていただいた後、腎臓に負担がかかることを
承知で到着するまでの間効く痛み止めをお注射してもらい、すぐにおうちへ戻り、
翌日の予定を全てキャンセルして準備をした後、ジューくんと「必ずまた一緒に
ここに戻って来よう!」とお約束をして家を出ました。
そしてパパが向かった先は、隣の州の病院とは逆方向でした。病院へ向かう前に
行っておこう!と、ジューくんが大好きな湖へ車を飛ばしていたのです。
湖は既に凍り始めているくらい寒かったけれど、厚い毛布でジューくんをくるみ、
ジューくんと一緒によく来た場所をまわりました。そして、湖の神様に祈りました。
その後、午後11時頃、私たちは東へと向かいました。
お目目が感染症にならないよう、30分に一度の点眼をしながら車で5時間。
パパが運転し、ジューくんは私のお膝の上のベッドで眠っていました。
私は心の中で、ずっと「絶対に生きて一緒に帰ってこよう!」とジューくんに
何度も何度も語りかけました。
でもジューくんが突然いなくなったらどうしよう。。。
そう思っているとだんだん吐きそうになってきました。。
っていうか、途中で止まってもらって本当に吐いた。。
そうこうしているうちにジューくんが目を覚まし、なんと、開かなかった
左目をパッチリと開けていました!痛み止めが効いているのか、痛そうな
感じは全くなく、いつものようにキョトンとしていて。。
しばらくするとまた眠り始め、私はずっとジューくんのお手手を握っていました。
午前3時、夜中だったからか予定よりも早く病院に到着すると、インターンの
女性ドクターが出迎えてくれ、朝の8時半に眼科医がくるということで、
ジューくんはそれまでの間、検査と点滴の為、病院にとどまることになりました。
その後、私たちは少し眠れるようホテルを探してまわりましたが、
あいにくその日はフットボールの試合があったようで、どこも満室。。
結局病院の駐車場に車を止めて、朝がくるのを待ちました。
朝8時過ぎ、眼科医から「今すぐに来れる?」と電話がかかってきました。
そして私たちは病院の目の前にいることを告げ、中に入りました。
(続く。。)

