私の職場は、介護や支援の必要な高齢者が住む施設です。
一般的に「住宅型有料老人ホーム」や「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」と呼ばれるような場所で、病院や特別な介護施設(特養など)とは異なり、あくまで基本は「生活の場(住まい、住宅)」という位置づけになります。
私は看護師として常駐しているので、入居されている方の体調が悪かったり、転倒されたりして医学的な視点でのサポートが必要な場合にしか基本的には入居者と関わることはないのですが、少しの関わりの中でも様々な方の死生観や家族との関係などが見えてきて、面白いと言っていいかわからないですが、勉強になることがたくさんあります。
先日、ある入居者様が病院から退院して施設へ戻られて数日たってから、ご家族からお電話がありました。
「父はちゃんとむせ込まずに食べられていますか? 肺炎になったのは、食事介助なんてされたからじゃないんですか?あなたは退院してから1度でも父を見に行かれたんですか?」と、こちらの対応を疑い、問い詰めるような強い口調でした。
来ようと思えば、いつでも来られる距離にお住まいのご家族です。
「そんなに心配なら、退院してすぐに直接様子を見に来てくだされば、どんな状況かすぐにわかるのに」と、もどかしく思う気持ちもありました。
本来、私たちの施設は病院とは異なり、ご自身で生活できる方を対象とした基本は「住宅」の場です。
看護師の常駐義務もなく、看護師が不在の日もありますし、人員にも限りがあります。
本当にスタッフ1人が1.5人分働いてるような状況で、そこに社会が甘えてる状態だなっていつも思います。
ご家族ご自身で直接介護や様子見をされないからこそ、そうした施設の性質や現実をご理解いただくのが難しく、「施設にいるのだから病院のように完璧に看てくれているはず」と過度な期待を抱いてしまったり、不都合が起きると外部のせいにしたくなってしまったりするのかもしれません。
現場とご家族の間にある「施設の役割」や「ご本人の状態」に対する認識のギャップを埋めるためにも、限られた体制の中で私たちができること・できないことの境界線を含めて説明するということは私にとっては初めての事でした。病院ではケアが行き届いていないことが落ち度となりますが、施設は住宅なので私たち看護師が介入することで実費が発生することも理解しておかなければなりません。(訪室15分=○○円という感じ)
身寄りのないお年寄りも中にはいらっしゃり、居室内にあるものだけがその方の人生で残っている最後の品で、昔住んでいた自宅はすでに手放されている方もたくさんおられます。
それでも、この施設の中でできたご友人とお話しされたり、読書やテレビを楽しんだりしながら、自分でできない部分はヘルパーさんの手を借りつつ、穏やかに生活されています。
そうしたお姿を見ていると、ここはある意味でとても恵まれた環境なのだと感じます。
そして案外、他人の方が、とても親切にしてくれたります。
それでふと思う時があります。
「こういう終の棲家って、私の老後にも存在するのだろうか。」
血のつながりがあるからこそ生じる複雑な感情から解放されて、適切な距離感で誰かに支えられながら暮らす。
それは決して寂しいことではなく、ひとつの穏やかな老後の形なのかもしれません。
あと数十年後、世の中も自分の環境もきっと変わっているでしょう。
今現在、現場で高齢者の生活を支えて働いている中心層の多くは、いわゆる就職氷河期世代の人たちです。
これから「働く世代」人口の減少によって、高齢者施設は働く人がいなくなって消滅する可能性もあるし、自宅の場合でも訪問に来るヘルパーさん不足やそういう介護を提供する事業もなくなっている可能性だってあります。
すべての就職氷河期世代が老後を迎える頃には、さらに切実な問題が立ちはだかっている気がします。
未婚率も高く、親の介護をしながら自身の蓄えに余裕がないまま歳を重ねている人も多い世代です。
いざ老後を迎えた時、施設に入るための「身元保証人」を誰に頼めばいいのか。
そもそも、先細る年金や蓄えだけで、こうした終の棲家の費用を払い続けられるのか。
救急車を呼ぶにしても、同行者が必要ですし、いなくても家族が必ず病院に来る必要があります。
じゃあ、そういう身内や知り合いがいない人は?
そんな人これからどんどん増えてきますよ。
「家族がいて、手続きをしてくれて、施設や病院に当たり前に入れる」
そんな「これまでの普通」が、私たちの老後にはまったく通用しない「特殊なこと」になっていくのかもしれません。
「家族に頼れない」こと以上に、「これまでの前提が崩れた社会で、自分自身の力だけでどう身を守ればいいのか」という不安が、どうしても頭をよぎってしまいます。
私も、私の姉も子供はいません。
考えれば考えるほど、子供を持つことが贅沢に思えるし、自分が生きていくのも精いっぱいなのにどうやって子供も育てるの?と思ってしまって、持つことをためらい、適切な時期を逃したと思います。
私の職場で介護職として働いたとしても、とてもじゃないですが余裕をもって子どもを育てられるような十分な額はもらえません。
そして変わらない給料の先に待ち受けるこの先の超物価高。
そんな日本で、私たちは世界中のどの国も体験したことのない超高齢化社会の現実をリアルタイムで体験していくことになるのだと思います。
