シンガポールに住んでいると、ちょっとした日常の風景に「Kiasu(キアスー)」という言葉が顔を出します。
ホーカーでの席取り、セール会場の長蛇の列、電車のドアが開いた瞬間の小さな攻防——それらすべてが、この国民性を物語っています。
でも「Kiasu」って、ただの“せっかち”や“欲張り”とは違うんです。
それは、シンガポールという国の歴史と社会構造が育てた、ある種の「生きる術」なのかもしれません。
「Kiasu」とは何か?——語源と意味
「Kiasu」は福建語(ホッキエン語)で「負けるのが怖い」「損をしたくない」という意味。
つまり、「得られるものは逃したくない」「他人よりも先に、より多くを得たい」という強い意識のこと。
たとえば、チャイナタウンでバクワ(肉乾)のセールがあると、2〜3時間並ぶのは当たり前。
「今並ばなかったら、損するかも」という心理が、行動を突き動かします。
日常に潜むKiasuの行動例
この精神は、日々の暮らしの中にしっかり根を張っています。
ホーカーセンターでの席取り:「チョープ(chope)」文化。ティッシュや傘を置いて席を確保するのは、席を取られることへの恐れ=Kiasuの表れ。

セールでの行列:限定品や割引商品に人が殺到するのは、「他人より先に得たい」心理。
公共交通機関での乗り込み:電車のドアが開いた瞬間、降りる人を待たずに乗り込もうとする人も。これも「先を越されたくない」気持ちの現れ。
なぜKiasuが根付いたのか?
この国民性の背景には、シンガポールという国の「競争社会」があります。
小学校から始まる受験競争。良い学校、良い仕事を得るために、子どもたちは早くから「負けてはいけない」と教え込まれます。
多種多様な高度なスキルを持つ外国人労働者が国境を超えて働きに来る環境があるため、国内のシンガポール人は常に国際的な競争圧力にさらされています。
その空気は、私にも日々、ひしひしと伝わってきます。
また、シンガポールは非常に小さな都市国家(「東京都23区ほどのサイズ)であり、資源に乏しい国です。
そのため、国民一人ひとりが「機会」や「資源(住宅、教育、仕事など)」を最大限に確保しようとする実用主義的・現実主義的な考え方が浸透しています。
「得られるものは最大限に得る」「失うものは最小限にする」という意識が、Kiasuという形で現れているのです。
国家徴兵制度が生むジェンダー間の競争
シンガポールでは、18歳以上の男性に約2年間の国民兵役(National Service: NS)が義務付けられています。
この制度、実はキャリアのスタートラインに、男女で見えない段差を生んでいるんです。
男性は大学卒業前後のタイミングで、約2年のブランクを余儀なくされます。
その間、女性は中断なくキャリアを積み重ねることができる。結果として、同じ年齢でも女性の方が一歩先を行くことがあるんです。
その「追いつかなきゃ」「抜かれたくない」という焦りが、男性の中にKiasuを生む。
それは単なる競争心じゃなくて、「自分の価値を証明したい」という切実な思いの裏返しなのかもしれません。
夫婦間の収入差が反映される家庭内の力関係
この競争の空気は、職場だけじゃなく家庭にも静かに入り込んできます。
たとえば、妻の方が収入が高くなると、家庭内での発言力や意思決定に差が出ることも。
「誰が稼いでいるか」が「誰が決めるか」に直結してしまうような場面もあって、そこにちょっとした緊張感が生まれることもあります。
でもそれって、もしかしたら社会全体が「勝ち負け」や「効率」を重視しすぎているからかもしれません。
本来、家庭ってもっと柔らかくて、支え合う場所のはずなのに——競争社会の価値観が、そこにも染み込んでしまっているような気がします。

Kiasuは悪なのか?——ユーモアと自己認識
Kiasuは、時に「自己中心的」「行き過ぎた行動」と批判されることもあります。
でも、シンガポール人自身はこの言葉を自虐的なユーモアとして使うことも多いんです。
「私って本当にKiasuだよね(笑)」
そんなふうに笑い飛ばすことで、厳しい社会を乗り切る力に変えているのかもしれません。
ただし、外国人が「Kiasuだね」と言うのは失礼にあたることもあるので注意。
これは彼ら自身が使うからこそ成立する、ちょっと繊細な言葉なんです。
Kiasu精神は、シンガポールの発展を支えてきた原動力でもありますが、時にストレスや摩擦の原因にもなります。
そこで注目されているのが、「Kiasu」と「Kiasi(キアシー)」のバランスです。
Kiasi(キアシー):同じく福建語で「恐れること」「慎重すぎること」を意味し、リスク回避型の行動を指します。
シンガポール人はこの2つの精神の間で、「積極性」と「慎重さ」を使い分けながら日常を生きています。
このバランス感覚こそが、シンガポール社会の成熟度を物語っているのかもしれません。
