4つの厳しい統制
シンガポールがよく「明るい北朝鮮」と言われる理由について、私なりに調べて見た事を書こうと思います。
そのようなことを言われる背景には、このような理由が考えられます。
⓵一党独裁(正確には人民行動党(PAP)が長期間にわたり政権を握っている)
②メディアコントロールされている
③政府が管理する社会(統制が強い)
④罰金、刑罰が厳しい
資源なき国の奇跡的な発展
資源もない中、極めて困難な状態でスタートし、現在では見事に先進国になりました。
今年で建国60年を迎えました。
いったいどのようにして発展したのでしょうか。
当時シンガポールが力を入れたのは、外資企業の誘致と教育でした。
シンガポールの立地的に、「世界の港」として機能させることに成功しました。
教育面を強化して、経済成長を支えました。
また、英語を公用語とすることで、教育、ビジネス、政府の公式言語として使用されています。シンガポールは多民族国家のため、この公用語の役割は大きいです。
徹底された資本主義と起業のしやすさ
印象的なのは、起業のしやすさです。
シンガポールでは資本主義が徹底されていて、努力や成果が報酬に直結します。
だからこそ、起業に対する心理的ハードルも低く、実際に多くの人がビジネスに挑戦しています。
私のパートナーの親戚も、ホッカーセンターの経営やお菓子屋さん、賃貸業など、家族が経営しているものがいくつかあるし、日本ほど起業に対して二の足を踏むような感じはないです。
賃貸業も、適切な手続きをすれば、自分が今住んでいる家の空いてる部屋を誰かに貸して賃貸収入を得たりもできます。
一党優位体制と政治的言論の制限
日本で当たり前に行われている政治批判とかは全くありません。
公に政治批判を行うことは厳しく制限されています。政府は言論の自由を制限する法律や規制を設けてられていて、政治批判を行う個人や団体に対しては、名誉毀損やその他の法的措置が取られることがあります。
これは、人民行動党(PAP)が独立以来、長期にわたり政権を握り続ける一党優位体制があるからこそ、可能な統制です。
もちろん、選挙は行われますが、その選挙制度や、初代首相リー・クアンユーから受け継がれた強力なリーダーシップが、この国の安定を支えてきた側面があります。
ただ、各々の政治家がFacebookのアカウントを持っていたりして、コメント欄で活発にディスカッションしていたりします。
日本ではSNSでの誹謗中傷が問題となっていますが、FaceBookで実名でディスカッションできれば、秩序がある程度保たれる気はしています。
大規模なデモや政治集会はオーチャード・ロード沿いの『スピーカーズ・コーナー』以外では原則禁止されています。
『観光客も例外ではない「厳罰主義」の実態』
罰金や刑罰が厳しいという部分については、国内の美化と治安維持のために私は必要だと思っています。
今や日本より安全な国となりました。
厳罰の例を1つあげると、殺人を犯した人はほぼ死刑です。
また、空港で知らない人から荷物を預かり、その中に薬物が入っていたら、最悪死刑になる可能性もあります。
これは観光客であっても例外ではありません。
強盗やヴァンダリズム(破壊行為)などには、アジアの先進国らしからぬ「CANE」(笞刑・ちけい)が適用されることがあり、これは外国人にも適用されます。
CANE(笞刑)は、竹などで作られた杖で臀部を強く打つ身体刑です。これは単なる体罰ではなく、皮膚が裂けるほどの激しい刑罰であり、肉体的・精神的なダメージが非常に大きいとされています。主に強盗、薬物密売、不法入国、公共物への破壊行為(ヴァンダリズム)といった特定の犯罪に適用されます。アジアの近代的な先進国で、このような厳しい刑罰が残っていることが、シンガポールの統制の厳しさを象徴しています。
実際、2024年には日本人男性が性的暴行の罪で禁錮刑に加えて笞刑20回の判決を受けるという事例がありました。アジアの近代的な先進国で、このような厳しい刑罰が外国人に適用されていることは、シンガポールの統制の厳しさを象徴しています。
罰則のあるもので身近なものは、チューインガムを公共の場で噛むことは、最大で500シンガポールドルの罰金となります。
他にも、公共の場での喫煙、飲食、ごみのポイ捨て、トイレを流さない、鳩への餌やりなどです。みんなが意識をしてみんなが快適に生活できるルールというイメージです。
実際そんなピリピリしたものではないですが、やっちゃいけないことを度を越してやると、労働ビザが剥奪されたりすることがあるので、暴走族になったり公共の場で酒を飲んで盛り上がるとか、日本で普通にやってることをここは日本だと勘違いしてやらないように注意が必要です。
統制は誰のためか?自由と安全のバランス
これらのことを窮屈と感じるかは個人差があるとは思いますが、多民族国家であり、世界の港として様々な国の人、観光客が出入りするこの国には必要なルールであるようにも思います。
シンガポール人は、中華系・マレー系・インド系など多民族で構成されていて、当初は徹底してコントロールしなければ無法地帯になり得たと思われます。
だから、たしかに政府は統制しているけれど、それは単に政府の利益のためではなく、多種族が平等に安全に生活できるために必要だったと思われます。
シンガポールの厳しいルールは、ただの統制ではなく、公共の美化や安全のため。最近、日本でも観光地の荒れが問題になっていますが、ルールがあることで守られるものもあると感じたりもしています。
結局、シンガポールが『明るい北朝鮮』と呼ばれるのは、その厳格な統制が、北朝鮮のような貧困ではなく、世界有数の豊かな先進国という、対極の結果をもたらしたことに対する、皮肉と称賛が混ざった表現であると言えるでしょう。
この国の成功は、「自由」と「統制」のバランスについて、私たちに大きな問いを投げかけているのではないでしょうか。

