自己のストレス発散&吐露になります。
吐く事で楽になるのか、または、思い出の1ページに刻まれるか。忘れたくない大切な感情なのです。
やっぱり、ツラい…
忙しく人と過ごしている時は何でもないし、気にもしてないのだけど、
家でのんびりしていると、ぼーが居ない空間が静か過ぎて。
朝コーヒーを淹れようとすると我先にと階段を駆け降りてご飯を要求してくる罵声もなければ、稽古終わりに階段を登ると出待ちのように待ってる姿もない。朝の体操中の邪魔しにくる姿もない。
暇だと分かると撫でてと要求してくるドラ声がない。声は脳裏には浮かぶのに。もう居ない。
忘れるのは楽だと思う。
割り切りは早い方だから。
だけど、忘れたくない。
可愛くて大好きだったから。
そうすると悲しさも溢れ出てきてしまう。
とめどなく溢れてきてしまう。
まだ悲しんでいても良いんだと思う。
楽しかった時間を思い出して、沢山感謝して、沢山悲しんでいて良いんだと思う。
多分すぐ気持ちを切り替えられるから、多分生きていくのに困らないから、こんなに哀しみに浸れるんだろう。
本当にツラい時は悲しんでなんていられないから。
それでもやっぱり、もう暖かい身体に触れられないのは寂しい。
骨になったヤツを撫でてても実感が湧かない。
焼く時までやはり見守るべきだったかもしれない。仕事があって、冷凍安置せざるおえなく、冷たく暗いところに寝かせるのが嫌ですぐに火葬してもらった。目がずっと空いていていつも通りで のお顔で生きてるみたいだった。だけど、息を引き取って一晩したら、目の水晶体から水分が無くなってきているのが分かって。きっと数日経った頃には可愛いお顔が変わっていってしまうと思った。焼かれるのも目の当たりにしたくなかった。
だけど、信じがたい姿の変化で心がついていけない。
コレが本当にボーだって分かるのは左耳のデキモノで骨の色も変わってるから、
デキモノのお陰で認識できる…血で色々な所を汚していたし、着物にも血がついたりした事があったが、今となっては特定出来る、ありがたいデキモノだった。
恐竜展に行って骨に見慣れたのか、ボーの頭蓋骨もカッコよくて仕方がない。
喉仏もしっかり残っている。
飾っておきたいなぁ…
カケラを食べたいと思うのは私だけなのだろうか。
みんなに愛されて見送ってもらえて良かったね。
中野沼袋氷川神社例大祭奉納舞踊にて「ボーのお見送り」という創作演目を興じます…笑
命日から丁度三十五日なので。四十九日とは有名ですが、三十五日も何やらあるらしい……
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