久しぶりの投稿。
秋分の日の連休を利用して、宮城県の南三陸町にボランティアに行ってきました。
ずっと現地に行って何かしたいと思っていて、やっと、都合が合いました。
神戸
南三陸町まで車で大体12時間位でしたでしょうか。運転いただいた方、おつかれさまでしたandありがとうございましたです

私以外の皆様ですが

高速から降りて一般道へ。
しばらくはまだ、地震の爪痕はあまりわからない感じ。
でも、南三陸に入ってしばらくすると、緑であるはずの木は茶色くなっているものもあり、また、あり得ない場所に船があったりする。
地震津波直後はもっと凄い光景であったと思われる。
でも、今の光景でも十分に、凄まじい水が襲ってきたのであろうことを想像でき、怖くなった。
ボランティアセンターに到着。
たくさんの人が並んでいる。
様々な年代の人が居る。
今回は瓦礫撤去。と、いっても、大きいものではなく、津波で建物が流された地面表面にあるものを分別していく。
これなら私も出来そうだ。
歯ブラシ、オモチャ、工具、チーズ、しょうゆ丸ごと。
生活の跡が生々しく見え、最初は色々考えるものがあった。
少し涼しいといえども、やっぱり日中は暑い

久しぶりにスコップなんて持ったから、親指の皮がめくれた

こまめに自分のペースで水分補給を行いつつ、お昼の時間。
日陰を探して陣取ったのは、元は保健センターであった場所。
窓もカーテンもなく中は丸見えで、そこにある時計は3時25分を指していた。
また、昼から作業。
午後の太陽はやっぱり厳しい!
無理の無いよう、でも、なんとかこの場所は終わらせたいとへんな意地が出てきたりする

作業終了。
きれいななった担当エリアに、少し満足。
でも、見渡すと手付かずの場所の方が多い。
しかし、この少しが積み重なりが必要なんだ

作業終了後、一緒に行った友達のお知り合いの方に会いに。
私なんかは初めてお会いするのに、一緒に仮設住宅にお邪魔させていただきました。
本当に大変な中、温かく迎えて頂き、すごくうれしかった。
二軒目のお宅のお母さんが言ってた言葉、生で聞いて涙が出そうだった。
「津波はにくったらしくて、色んなものが無くなったけど、生きて、避難所とかで新たな縁があって良かった」と。
その言葉と底抜けに明るい笑顔にすごくパワーをもらった。
夜は居酒屋で食事。
ゴリラ兄さんとも会えた

テント泊。
作業場所に移動前に、ベイサイドアリーナで、身元が分からない方の情報が貼り出されていた。
これが現実なんだと改めて実感。
震災に、関わる記事も閲覧。
そこに、震災前の南三陸町の写真。
作業場所に、移動する
翌日も同じ場所で作業。
作業に行く途中に、色んなメッセージが。
ボランティアの人に向かってのメッセージとかもあって、嬉しかった。
そんな中で、「津波のバカ、でも頑張る」的なメッセージ。
すごく正直だなと思った。
二日目なので、一緒に行ったメンバーはかなりのイケイケムード。
黙々と作業に励む。
昼休みにトイレに行く。
その近くに被災された方の為のカフェがあった。
そこで働いている方は町の職員の方だったが、彼女も被災者で、仮設で暮らされているとのこと。
我々が神戸から来ていることを伝えると、神戸での震災後のことを熱心に質問していた。
だって、今後のこと不安だもん、色々聞きたいよな。
この日も作業終了後、メンバーの知り合いの仮設へ。昨日とは別の。
集会所にいれて頂いた。
そこには色んな人が居て、色んな話を聞いた。
津波の日、寒かったこと。
寒かったので、学校のカーテンや柔道着で寒さをしのいだこと。
とっても小さいおにぎりをみんなで分けて食べたこと。
それなのに、救援物資で届いたバナナは、避難所人数分ないので、配れないとされたこと。
空いている仮設があるのに、そこに入れず車生活をしている人がいること。
平等って、一体何なんだろう??
壁には子供達が描いた絵や作った折り紙が、貼ってあった。
「みんながしあわせになりますように」って、書いてあった。
この子供達、彼らなりに考えて、仮設住宅の方々とコミュニケーションをとろうとしたりしているとのこと。
微笑ましくたくましい。
同時に、家族友人を亡くし、また、せっかく慣れたころに帰ってしまうボランティアや自衛隊の方々との別れも経験し、また、別れがやってくるということを、心に強く持っているらしい。
集会所を後に、お風呂→夜ご飯→帰路へ。
途中のサービスエリアで福島のゆべしを買ってみる。
家に帰って、ほぼ母に奪われたが、一つだけ食べて美味しかった

朝、神戸着、電車に乗って家へ‥
とても貴重な経験をさせてもらったと思う。
色んな思いがあります。
何から何までありがとちはるちゃん、
Oさん、Mさん、運転ありがとうございました。
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