どうしようもないこと | きまぐれ、じこちゅー、それは誰

きまぐれ、じこちゅー、それは誰

主にそのときの楽しかったこと。今はジャニコンでしょうか。
あとはいろいろと遊びに行ったことなどなど。
でも、不定期

昨日、病院に行ったのでちょっと記録。


けっこぐだぐだなのでみたくない人はするーで






べるは行きたくないけど、行かなくちゃならないからしょうがなく病院に行ってます。

主治医の先生もいて、最初は1ケ月一回だったのが2か月一回にしてもらい、そうしたらお仕事の関係もあってなかなかいかなかったら、いつの間にか間が空いて、気がつくと先生は栄転して、この病院を去ってしまうということ。


うわーーーと慌てたように診察を受けに行ったら、色々検査をされて、昨日、ちょっとまずい事態になったようです。


火曜日にもう一度検査。


先生はあきれたような顔をして、まあしょうがないなあと言う顔になった。


最後の最後までこの娘は迷惑をかけるかという顔してたから申し訳ないのなんの。


五年前、もう五年もたつのかとしみじみ思うんですが、べるはちょっと死にそうな目にあいました。

何もしてなければぜったいに手遅れになってたでしょう。

それから、人っていつどうなるのか分からないと思うようになったんです。


全然この先もふつーに生きていけると思ってたのに、それはちょっとした衝撃だった。


それからだなあ。やりたいことはやらなくちゃと思うようになったのは。べるがべるであるのは今だけだと。生まれ変わりってのはあっても元のベルではぜったいにないということ。

その病気のせいで嫌な眼にもあったせいもある。


人ってほんとに自分が体験した事しか実際問題自分の問題と考えることって難しいと思うんです。


べるは昔、まあいわゆる月のなんとかのとき、全然平気だった。

でも妹は逆にひどくて、外でいき倒れになったことさえもある。

そういうのってわかんなかったんですよね。

なんか、そんなに痛いの?って感じ。


でも年を経るとべる自身が同じ症状になり、それでも妹よりはひどくなかったのに、毎月苦しかった。今もですけど。

あのころ妹にはひどいことしたなとしみじみ思うんですよね。


もちろん他人の痛みを自分の痛みのように感じる人がいることは否定しません。

スティグマータとかは日本人の私には理解できないけど、ありえるから。


そういうのは今のこの災害でも考えるんですよ。


偽善者って言い放つ人がいて、言われて反論する人がいる。


偽善者って言われる人たちはまっとうなことをしてると思うんですよね。募金したりボランティアしたり。それでも言われるのはそれをどっかで発信するからなんじゃないかと思うんです。


でもそれを偽善者って言われるのはいやだということなんだろうなあ。


だったら発信しなければいいんじゃないのって思うんですよ。何も言わなければたたかれることも無い。

言う人たちはどうなんだろう。ほめてほしいのか自分を見習えって思うんだろうか。


発信することは本人の自由だと思う。だったら偽善者って言われても平気でいればいいんじゃないだろうか。

間違ったことは何一つしてないんですから。


けれど、発信したものを消すのも違うと思うんです。自分しかみれない日記に書くのならともかく、外にいったん出したものを、消してなかったことにするというのは?どうなのだろ。


言葉って大切で重いものだと私は思う。


言った事を後悔する事はもちろんある。でもそれはきっと簡単には消えない。


あんま考えるのも好きじゃないのでこのへんで。


一部の人がけぎらいしているお隣の国たちも日本の国にあんたにたくさん支援をくれてる。国境どうなるの?とおたおたしていたのはともかく、困っている時は援助してくれる。完全に悪い人もよい人もいないと思っているから、今度の事は心が温まった。

そうして今は自分のできることをするだけでいいと思います。