
長女が冬休みの自由研究で、世界の偉人達を調べるというので
図書館で本を借りてきました。
そのなかでも長女がひときわ興味を示したのが
ジャンヌ・ダルクでした。
19歳とゆう若さで処刑されたものの、彼女の功績は後世に語り継がれ
1920年5月16日には
ベネディクトゥス15世によって、
列聖され聖人になったとされています。
フランス立て直しに貢献したのに、魔女呼ばわりされ最期は火あぶりの処刑を受けたジャンヌ・ダルク。
映画ジャンヌ・ダルクでも描かれるように、
ジャンヌは『神の声』を聞き、自分が聞いた声は神が示すもの。
その声の示す通り自分も戦いに参加し、軍を率いる事を望みました。
が、おそらく冷静に考えれば神の声なんて無く、
それは自分の都合のいいように解釈した自分の考えに過ぎなかったとゆう事でした。
映画のラストでは
自分が聞こえたはずの神の声は自分だったのか、
神の声そのものだったのか…
自分の盲信していた神の声はなんだったのか混乱するシーンがあります。
映画で観れるジャンヌは
病的でクレイジーに見えました。
だけど、
あまりに自信があるジャンヌを見ていると
本当に正しい事を言っているのに、誰も信じてくれないから必死になっている、って感じに見える時もあるんです。
当時の人もそうだったのでしょうか。
この子おかしいな、と思いつつも
本当に神の使いかもしれないと感じた人もいたんでしょう。
ジャンヌ・ダルクの神がかり的な言動については、発作を伴わない幻覚症状のみの側頭葉てんかんによるものだとする見解がある。
とありましたが、
やはり神というよりは
自分の信念を神に結びつけただけなのかもしれないですね。
『ついてきて!あなた方に勝利をあげる!』
『私を愛するものはついてきて!』
ジャンヌ・ダルク

来月、結婚6年目に突入します。
思い起こせば私達はまだ20そこそこで、
出会って1ヶ月で交際スタート。
一生男なんかいらねぇケッ
と言っていました。
母にも
『アタシは生涯1人で生きていく。娘達を1人で育てる。男なんかイラネ。男なんかクソだ。』
と散々言っていました。
『そうねぇ…』
と悲しむ母でした。
でも今の旦那に会って、
絶対この人はマトモな人だと分かった。
何故ならまだ人見知りの激しい幼かった次女チャンが
旦那に向かって
『だっこ。』
と言ったからでした。
近所のスーパーに買い物に行くにも当時ただの友達だった旦那に
『だっこ。』
白鳥に餌をあげに行った時でもすぐ
『だっこ。』
小さい時の次女は
とにかく旦那(当時友達だった)に
『だっこ。だっこ。』
抱っこされて移動していました。
それを見た母が
『あの次女チャンが他の人に抱っこされるなんて珍しいね。』
と言いました。
その時思いました。
旦那にせねば。
他の女に取られる前に、と焦りました。
あれから順調に結婚し
息子も生まれ、
母が亡くなる悲しい事も乗り越えて
家族仲も夫婦仲も良く、
生活しております。
旦那とは毎日色んな話をします。
昨日はニュースで読んだ話を旦那にしました。
耳が聞こえない男性が視覚障害に悩まされていて、
年々目が見えなくなってきてるそうです。
医者に安楽死を希望していて、それが認められるといったものでした。
賛否両論でしょう。
だけど私は賛成です。
目が見えなくても耳が聞こえれば飲みにも行ける。
人の声が聞こえる。
歌が聴ける。
耳が聞こえなくても
目が見える。あの人がどんな顔をしているか分かる。どんな顔で笑うか分かる。
映画だって観れる。
赤ちゃんが生まれたら顔を見れる。
でも、耳が聞こえなくて目も見えなかったら?
自分の思考だけで日々生きて、今が何時なのかも分からない。
1人では生きていけない。
部屋に虫が居ても分からない。
そんな毎日。真っ暗な毎日で、生きてく意味が分からなくなるのは当然だと思う。
反対の人は
目も見えて耳も聞こえるから反対できる。
他人事だから。
なんとでも言える。
そんな話を旦那にしたら
『俺って幸せだね。耳が聞こえなかったらママとこうやって電話できないよね。仕事あるだけで幸せだよね。』
とかなんとか。
最近旦那との話で
子育てや生活費やらでお金が掛かって、
もう本当生きてくって大変だよね…。
なんて話してたけど、
改めて『私達は何も大変じゃない!』って考えた。
なんたって私が38歳になったら長女は成人する訳で。
翌年は次女が成人する訳で。
そしたら残すは息子1人。
金なんかどうとでもなるわ!
と旦那と励まし合いながら頑張ってます。
