さっき、10年くらい凍結してた、

ある人からもらった言葉が目に飛び込んできて、

これまでの「愛されてなかった」記憶が

パタリとひっくり返った。

 

そこには、

「わたしのあなたへの愛は世界一です」

と書かれていた。

 

「世界一愛されていた記憶」が、

僕にあったんだ…

 

それは大きなショックだった。

 

僕にそんな記憶はなかったはず、

だった。

 

世界一愛した記憶はあるのに、

それほど愛されていた自覚がなかった。

 

愛されることを受け入れなかった、

僕の正体を見た。

そう思った。

 

愛することを必死にしてた。

愛を伝えて、巡り巡って

いつか愛されるために。

 

僕の中の120%の愛を

みんなに「愛されたくて」、

分配していた。

 

すると、

僕の中に愛が枯れる時があった。

 

今は注ぐ愛が枯れてしまった

と思う時はいつもそうだった。

 

「世界一愛されていた記憶」が

僕にあったんだ。

さかのぼれば、生まれた時からずっと。

 

知らなかった。

 

生まれてすぐの1年間、

母は仕事を続け、

僕は祖母に面倒をみてもらってたらしい。

 

0歳の僕は、かなり荒れてたらしい。

祖父が取ってきてくれた

セミの羽を全部むしって並べたらしい。

乳児の持つ残酷さを差し引いても、

そこに寂しさがあったろうと推測する。

 

祖母に抱かれ、

母とは違う少ししゃがれた声や、

ぺらっぺらのおっぱいに、

「なんかニセモノ!」

と思ってた、かすかな記憶が

あるっちゃある。

 

5歳の時、弟が産まれる準備で

また祖父母に預けられた。

「連れて帰ってよ!」とせがむ僕を

両親は置いて帰っていった。

 

何度かの

愛してくれない母の代わりに

祖母でガマンしなければならない経験が、

「どうせ愛されてない」に変わったんだと思う。

 

「どうせ愛されてない」から

「いかに愛して、愛をもらうか」

これが僕の握りしめてきた

愛され方だった。

 

「愛してるよ」という言葉をもらっても

「どうせ自分ほどじゃない」と決めつけ、

愛されることを受け入れてこなかった。

 

その時その時で

両親が、祖父母が、

精一杯愛してくれていたことを、

僕はただ、受け取ってなかっただけだった

 

0歳に始まって今の今まで、

その人なりの僕への愛を、

スネて受け取ってこなかった。

 

それじゃヤダ、もっとこうしてと

ダダをこねることしかできなかった。

 

世界一愛された記憶が今、

0歳からずっと、

たくさんの人から降り注いでくるのを感じる。

 

ただ、受け取ってなかっただけだった。

 

そこに、愛はあったんだ。

 

僕はずっと、愛されてきたんだ。

 

愛されてることを受け取ろう。

 

 

 

 

 

 

 

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豆腐のチーズケーキ絶品でした♪

 

 

 

 

幸せな眠りの中で

愛されてた記憶を思い出そう

 

心屋認定心理カウンセラー

猪狩純一(いがりじゅんいち)

ガリさん