ブログを毎日更新するのは結構大変ですが、
楽しいからなるべく毎日書いていこうと思います。

ここ2日ばかり、書こうかな、やめよかな
と思ってた題材があって、
そんなこと考えてると気になって
ほかに何を書こうかな~なんて考えてしまって、
思いがつまってしまう感があり、
来年にはなんか人のためになる内容で書けるかな~
なんて考えてたのですが、書けず、でも
心屋つながりや日本メンタルつながりの仲間が
それぞれブログやメッセージでエールを送ってくれてる
気がしたので、
この話は自分のために書いておこうと思います。

けっこう重い話だと思うので、
ここからは覚悟のある人だけ読んでください。
ブログを使って自分のためだけに書くことを
お許しください。


僕が初めて勤めたテレビ局の、
同期に素敵な女性がいました。
山本美香さんといって、ジャーナリストとして
社会問題を広く伝えようと世界を飛び回って
映像で表現していました。

いつもまっすぐで、いつも正直で、
あれほど瞳が澄みきっている人を、
僕は後にも先にも見たことがありません。
そんな美香ちゃんと共に、
日夜互いに一生懸命、
表現し、伝えることと向き合っていました。

夜ご飯なども一緒に食べることがあって、
そうすると必ず、
「幸せって、後悔のないように生きることだよね」
という話で盛り上がりました。

お互いが同じ職場から去って8年くらい、
僕が水戸に帰ってきてしばらく経ってから、
彼女が本を出版したことを知って、
速攻で読みました。

「中継されなかったバグダット」(小学館刊)という本には、
帯に櫻井よしこさんが書いたように、
「究極の現場、命がけの戦争取材。
本物の記者にしか出来ない仕事だ。」
という、イラク戦争での彼女の手記が
つづられていました。

僕はジャーナリストとして命がけで取材した彼女を
スゴイと思って、手紙を書きました。
その返事は、今も大切にとってあります。
でも同時に、そこまで命を賭ける彼女に、
自分を追い詰めているんじゃないかと疑問を
持ったのも確かです。
余計なお世話でしかありませんが…


2012年8月20日、
仕事中の僕のこめかみに
ズバー!っと念が飛び込んで来ました。
何のことか分からなかったのですが、
なぜか美香ちゃんの顔が浮かびました。
しばらくしてネットでニュースを見ると、
シリアで日本人ジャーナリストが銃撃を受けて
亡くなったという記事。

まさか?とニュースを疑ったんですが、
それが美香ちゃんでした。

飛び込んできた念は、
当時の彼女との思い出と、
命がけの取材中に命の終わりを悟った、
彼女の走馬灯でした。

彼女は後ろから両ヒザを打たれ、
ひざまづいたところを、
さらに首を貫通する銃弾に命を奪われたそうで、
その間の彼女の脳裏に浮かんだ
走馬灯を、僕がキャッチしたんだと
後になってわかりました。

美香ちゃんは、最後まで命を燃やして、
後悔なく散っていったんだと思います。
でも、あまりに早過ぎたでしょう。
いつかまた会って一緒にご飯を食べたかった。

事故や怪我は、自分を大事にしていない時に
天から与えられるシグナルだと言います。
多分、彼女は45歳にして、
命を全うしたと思えたんでしょう。
もっと生きて伝え続けて欲しかった思うと同時に、
凛とした潔さも感じます。

「あの頃の20代だった僕らと違うのは、
精一杯自分に優しくすることも、
自分を大事にすることって知ったんだ。
それも幸せに生きることにつながるよね。」
そんな話を、彼女としてみたかった。

この夏で彼女の命日は3回目を迎えました。
3年前の今頃、彼女の故郷の都留に
お焼香しに行ったことを思い出し、
彼女の覚悟を思い出します。

彼女がその覚悟を伝えてくれたことで、
僕も自分の人生を生きる思いが強くなりました。
「後悔なく生きる」ってことは、
今を精一杯生きること。

やるときはやる、休むときは休む。
ジタバタするのも、時の流れに身を任せるのも、
そのどちらも大事にして、
今の自分を生きていきます。


最後まで読んでくれて、ありがとうございます。



心屋認定カウンセラーを目指すマスターコース35期受講中
日本メンタルヘルス協会認定カウンセラー