「清い川には魚が住まない」っていうじゃないですか。
正しいこと、嘘のないこと、ごまかしのないことだけを求めると、
堅苦しくって息が詰まる社会になるって解釈してますが、
これ、全然できなくて、僕はいつも正義とか誠意とかを
追い求めて清廉潔白であろうとしてました。

「清濁合わせ飲む」って言葉を
マイスローガンにしてたこともありました。
今書いてて、笑っちゃうんですけどね。

どうも他人の濁りというかブラックな部分はもちろん、
グレーさえも飲み込むことができなくて、
心のあそび領域も否定して、
こうあらねばならぬ!
というか、精神力を高めれば、邪念は吹き飛ばせる!
と思ってたんですが、

そうしてると、自分の中にいる天使と悪魔を常に意識して、
悪魔を封じ込めようとするから、
誰より自分が苦しかったんです。
自分には二面性があると思っていて、いつか融合させるのが
心理学を学ぶ目的でもありました。

心屋に通って最近わかってきたんです。
両方あっての自分なんじゃないだろうか?
どちらかを見ないようにするんじゃなくて、
丸のまま受け容れてあげればいいんじゃないか。

でね、僕の中に確かに存在するブラックな部分から目をそむけずに、
認めてあげることにしてみました。
ひた隠しにしていた自分の強引さ、弱さ、ワガママ、言いわけなどを、
「しゃ~ないじゃん、それも自分だから。」
って認めたら、清濁合わせ飲まなくても、
自分の血の中にどす黒いものが脈々と流れていたことを発見
してしまいました(笑)。

次の段階、黒さを人に見せるのはまた試行錯誤があって、
強すぎて引かれたり、あからさまに傷ついた顔されたりと
最初は大変だったのですが、だんだんバランスが取れてきて、
人に黒さを見せると、自分がすごくラク!
「人の黒い部分も、ま、しゃ~ないじゃん!」と思えてきた不思議。

それを清濁合わせ飲むっていうんだよ、というツッコミもありますが、
これができちゃうと、あんまり清と濁の境目が気にならなくなって、
意識しなくなるというか、
なんなら、清い川にも美しい魚は泳いでるぜと、
そんな社会があっても悪くないじゃん、と言えるようになりました。
だって、清い方が、好きだから。

とはいえ、
僕のブラックな部分もほどほどに出させていただきますので、
みなさまにはほどほどにお付き合いいただきたく(笑)。




心屋認定講師を目指すマスターコース35期受講中
日本メンタルヘルス協会基礎カウンセラー