浮田一惠 二見浦図:掛軸 | 野崎淳之介 『玉石混淆 美術館』 blogsite

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玉石混淆=良いものもそうでないもののごちゃまぜになっている様。

 

浮田一惠(うきたいっけい Ikkei Ukita

寛政7年—安政6年

 

 

幕末期に活躍した日本画の大家です。

姓は「宇喜田」とも書き、本名は「可為(よしため)」と称します。

 

絵を日本画の巨匠であり復古大和絵の祖といわれた田中訥言に学び

当時下火になっていた大和絵の復興に尽力した画家です。

 

また、晩年には尊王攘夷を主張し

安政の大獄で捕えられるという逸話も持っています。

しかし、安政の大獄で処刑されることはなく

釈放された後、京都にて亡くなったとされています。

 

そんな幕末期の画家・浮田一惠の描いた「二見浦」です。

 

 

二見浦の夫婦岩です。

二見浦とは、三重県伊勢市二見町にある海岸で

江戸時代より夫婦岩の間より昇る日の出が風物詩となっています。

 

 

この絵は、まさに今 夫婦岩の間から昇った日の出を描いています。

 

 

落款部分です。

署名は「画院生徒可為筆」と書かれています。

 

 

筆跡の比較です。

 

右側は参考資料。

淡交社 刊「落款花押大辞典」から抜粋しています。

 

 

印譜の比較です。

右側は同じく参考資料。

遊子館 刊「日本書画 落款大事典」から抜粋です。

 

 

 

箱です。

共箱や鑑定箱ではありませんが

蓋には「可為画二見浦」と表題が記されています。