野々村仁清(ののむらにんせい Ninsei Nonomura)
生没年不詳
江戸時代前期に活躍した陶芸家の巨匠です。
京焼色絵陶器の祖ともいわれ
尾形乾山・青木木米と並んで日本三大陶工のひとりとも称されています。
その尾形乾山は野々村仁清の弟子に当たり
まさに日本の陶芸史の頂点に立つレジェンド的存在の人物なのです。
通称、その名を清右衛門といい、江戸・正保4年頃に仁和寺の門前に御室窯を開きます。
そして仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」をとって
「仁清」と号するようになったといわれています。
また、陶芸界では初めて、自らの名を銘印として作品に捺して
芸術家・アーティストというブランドを主張した陶工としても知られています。
伝世する作品の多くは美術館・博物館に収蔵され
色絵雉香炉(国宝)、色絵藤花図茶壺(国宝)などは特に有名です。
この作品は、そんな野々村仁清・作として伝世された糸巻型香合です。
香合とはお香を入れる小さな蓋付きの容器のことをいいます。
大きさは、およそ5センチ×5センチとなっています。
上から見ています。
この香合は、縦横に巻かれた糸を意匠化(デザイン)しています。
野々村仁清は、他にも結び文、小槌、玄猪包、舵といった
生活に根付いた器物などを意匠化した香合を多く作っています。
また、国宝の色絵雉香炉をはじめとした動物等の造型にも優れ
当時から仁清ブランドは圧倒的人気を博していたといいます。
しかし、その圧倒的に優れた造型・作品ゆえ
二代目仁清の作品があまりに目劣りしてしまい
二代目の代になり程なくして窯場への注文は激減してしまいます。
挙げ句は二代目は初代仁清の贋作師と揶揄されるまでに至り
知らぬ間に二代目は歴史の表舞台から姿を消すという
憂き目にあうことにもなってしまうのです。
それほど初代である野々村仁清の腕が素晴らしかったという
証ともいえるエピソードなのです。
四方をサイドから見ています。
ただ、野々村仁清はレジェンドゆえ、贋作もかなりの数が作られています。
特に江戸時代後期には大量に制作され
贋作・模作・仁清ブランドにあやかった仁清焼など
様々な作品が多く残されているといいます。
そして、それらの作品には主に「仁清印」が捺されていますが
それをよくよく見てみると真作のものと認められている銘印とは似つかない印も数多く
その銘印を比べることである程度の真贋判断が出来るとされています。
はたしてこの作品は野々村仁清の真作でしょうか?
それとも模作・贋作の類でしょうか?
銘印については後述します。
香合の蓋を取った状態です。
この香合には蓋の内側と本体の内部に「4」ないし「↑」のような記号が記されています。
これは本体と蓋の向きを合わすためのマークであり
双方ともに釉薬の上から書かれていることから
後年になって記されたものであることが考えられます。
本体の内側です。
縁の部分は釉薬のかかっていない、いわゆる「土見せ」となっています。
蓋の内側です。
こちらも縁の部分などは「土見せ」となっています。
底部です。
底面は釉薬のかかっていない土見せ状態であり
中央部分に「仁清」の小印が捺されていることがわかります。
また参考資料として・・・
中央公論社 刊「日本の陶磁 12 仁清 乾山」にも
多数の仁清・作の香合作品が掲載されていますが
その解説には「底裏は土見せで、平らな底の中央に仁清の小印を捺している」
といった記述をみることができます。
底部が土見せ、中央に仁清の小印など
この作品も状態が酷似しています。
その底面中央に捺された「仁清」の小印です。
仁清印は、焼物の種類によっていくつかバリエーションがあることが確認されています。
大きめの壺などに捺す「大印」、幕状の意匠がある「幕印」
茶碗や香合に捺す「小印」等を中心に、大きさが微妙に違うものや
字体は一緒で枠取りがあるもの、ないものなど
野々村仁清は作品によって複数の銘印を使い分けているのです。
この香合の銘印を比べてみます。
左右ともに参考資料の画像です。
向かって左側は、東京美術 刊「日本のやきもの鑑定入門」から
向かって右側は、根津美術館 刊「仁清の茶碗」から
仁清のもので間違いない銘印画像を抜粋させてもらっています。
中央の当作品の銘印を比べてみても、字体が参考資料の印と酷似しています。
これは同じ字体の銘印である考えて良いと思います。
ひと言コメント
はたして、この香合は野々村仁清の真作なのか?否か?
たしかにレジェンドともいえる野々村仁清の作品が
そうそう身近にあるとは考え難いものです。
しかし、全体的な造型や何より本物と酷似する銘印などから
仁清の真作である可能性も多大にあると考えます!
もちろん野々村仁清の真作であってもらいたいとは思いますが
真作でない場合は、おそらく後年の職人の手によって作られた
仁清焼の作品であるのかも知れません。
少なくとも悪意ある贋作ではないと考えます。
残念ながら箱などは元から無かったため
保存のため自作の箱へ収蔵しています。