「兄貴、前に一度だけ、憲法改正のことを俺の前で喋ったことがあったんだけど」
「いつ頃?」
「兄貴が大学生の頃でさ、こう言ってたんだ」潤也君は記憶の歯車を手動で回転させはじめたのか、しばらく無言の間が入り、もしかするとこのまま寝入ったのかな、と疑いかけた時に、「この国の人間はさ、怒り続けたり、反対し続けるのが苦手なんだ」と呟いた。
「怒り続けるのがってどういうこと?」
「初回は大騒ぎでも、二度目以降は興味無し、ってことだよ。消費税導入の時も、自衛隊のPKO派遣の時も、住基ネット開始も、海外での人質事件も、どんまものだって、最初はみんな、注目して、マスコミも騒ぐ。ただ、それが一度、通過すると二度目以降は途端に、トーンが下がる。飽きたとも、白けたとも違う。「もういいじゃないか、そのお祭りはすでにやったじゃないか」っていう、疲労まじりの軽蔑が漂うんだ」
-中略-
「だから、もし、俺が政治家だったならば」と潤也君の声は続く、「こうやるよ、最初は、大きな改正はやらないんだ。九条は、『自衛のための武力を保持する』とその程度にしか変えない。『徴兵制は敷かない』と足してもいい。それだけでもおそらく、大変な騒動になるだろうな。マスコミは連日、この件について論じるし、知った顔の学者が様々な意見を言う。そして、たぶん、憲法は変わる。大事なのはその後だ。時期を見計らって、さらに条文を変えるんだ。マスコミも一般の人間も、一回目ほどのお祭りは開催できない。抵抗も、怒りも、反対運動も持続はできないからだ。
『もういいよ、すでに九条は改正されているんだからさ、またかえればいいじゃないか』という感じだろうな。既成事実となった現実に、あらためて歯向かう気力や余裕はないはずで、『兵役は強制されない』の条文を外すことも容易だ。一度認められた消費税は上がる一方で、工事は途中では止まらない」
-中略-
「可能であれば」潤也君はさらに言う。「一度目の改正で、憲法改正の要件を、つまり九十六条を変えることができれば、もっと都合が良い。二度目以降の国民投票をやりやすくしておくわけだ。とにかく、賢明で有能な政治家であれば、唐突に大胆なことをやるのではなく、まずは楔を打ち、そこを取っ掛かりに目的を達成する。そうする。俺ならそうする」
「潤也君?」
伊坂幸太郎 『魔王(呼吸)』より抜粋
「いつ頃?」
「兄貴が大学生の頃でさ、こう言ってたんだ」潤也君は記憶の歯車を手動で回転させはじめたのか、しばらく無言の間が入り、もしかするとこのまま寝入ったのかな、と疑いかけた時に、「この国の人間はさ、怒り続けたり、反対し続けるのが苦手なんだ」と呟いた。
「怒り続けるのがってどういうこと?」
「初回は大騒ぎでも、二度目以降は興味無し、ってことだよ。消費税導入の時も、自衛隊のPKO派遣の時も、住基ネット開始も、海外での人質事件も、どんまものだって、最初はみんな、注目して、マスコミも騒ぐ。ただ、それが一度、通過すると二度目以降は途端に、トーンが下がる。飽きたとも、白けたとも違う。「もういいじゃないか、そのお祭りはすでにやったじゃないか」っていう、疲労まじりの軽蔑が漂うんだ」
-中略-
「だから、もし、俺が政治家だったならば」と潤也君の声は続く、「こうやるよ、最初は、大きな改正はやらないんだ。九条は、『自衛のための武力を保持する』とその程度にしか変えない。『徴兵制は敷かない』と足してもいい。それだけでもおそらく、大変な騒動になるだろうな。マスコミは連日、この件について論じるし、知った顔の学者が様々な意見を言う。そして、たぶん、憲法は変わる。大事なのはその後だ。時期を見計らって、さらに条文を変えるんだ。マスコミも一般の人間も、一回目ほどのお祭りは開催できない。抵抗も、怒りも、反対運動も持続はできないからだ。
『もういいよ、すでに九条は改正されているんだからさ、またかえればいいじゃないか』という感じだろうな。既成事実となった現実に、あらためて歯向かう気力や余裕はないはずで、『兵役は強制されない』の条文を外すことも容易だ。一度認められた消費税は上がる一方で、工事は途中では止まらない」
-中略-
「可能であれば」潤也君はさらに言う。「一度目の改正で、憲法改正の要件を、つまり九十六条を変えることができれば、もっと都合が良い。二度目以降の国民投票をやりやすくしておくわけだ。とにかく、賢明で有能な政治家であれば、唐突に大胆なことをやるのではなく、まずは楔を打ち、そこを取っ掛かりに目的を達成する。そうする。俺ならそうする」
「潤也君?」
伊坂幸太郎 『魔王(呼吸)』より抜粋