1988 F1 日本GPスタートでポールのセナと6位の中嶋選手はエンスト寸前。鈴鹿のストレートが下り坂なのが幸いして完全に止まることなく順位は落としましたが再スタートして追い上げます。セナは優勝して初チャンピオン。中嶋選手は7位でした。予選中にお母様が亡くなるという出来事がありましたが、「(スタートで失敗したけど)後ろから押してくれたのかな」と言う言葉が涙を誘いましたね。