音楽にまつわる思い出~その6
その5からつづく~
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厳し~~いホルンのパートだったけれど、
クラブ全体の雰囲気は実は正反対。
前述のとおり、文化系クラブは音楽部のみ、
ということは、
スポーツはちょっと・・・という人の集まりであって、
特に音楽好きというわけではない集団。
クラブとしての人気もなく、各楽器2~3人という小編成。
汗と涙の練習の日々、どころか、
皆、なんとかしてサボりたい~~。
パート練習はほとんどおしゃべりに費やされ、
全体練習は、ダラダラ~~~
顧問の先生は、「丸婆(マルバとよむ)」と呼ばれた、
女の先生で、
キンキン、ギャーギャーとやたら怒る人だったけれど、
反抗期まっさかりの中学生達には、馬耳東風。
ホルンは・・・
ちゃちゃっと練習。あと全部休憩。という感じ。
自分の担当分はしっかり。あとは知らんという・・・
まー、無愛想なお年頃の少年達ですから。
じゅんもも、自分のパート譜をもらえるようになった頃から、
しごきなし。
この年に演奏した曲目は、
アルルの女 間奏曲
白い色は恋人の色
雷神
錨を上げて
など。
選曲もちょっと(いやかなり)、古いんだよね~~
まぁ、でもどの曲もキライではない。
いや、けっこう好きだったかも。
アルルの女の間奏曲では、
ホルンのソロがあった。
4小節ほどの短いフレーズだけれど、
難しい高音域の音で、美しく演奏するのは大変。
二年の美少年が、担当。
彼は口は悪いが、実力で誰にも文句を言わせないところがあった。
夏休みに入ってようやく一生懸命練習したものの、
コンクールは、まあそれなりの演奏。
毎年のごとく、参加賞。
秋には、市内のパレードに参加。
行進曲では、ホルンは2人で十分だからと、
ティンパニを担当していたじゅんもは
今度は、シンバルの担当に~~~
パレードが終わると、3年生はそろそろ引退。
そんな頃、ホルンの先輩が私に言った。
「来年からは、君がパートリーダーだよ。」
なんと、ソロを上手に吹いていた二年生は、
本当はトランペットが得意。
ホルンが足りないからと、手伝ってくれていたのだそうだ。
金管楽器はわりと、融通がきくけれど、
誰でもがどれでも吹けるというわけにはいかない。
トランペットしか吹けないというほかの生徒のために、
得意の楽器をちょっとお休みして
ホルンのパートを買って出た、ということだった。
彼はやっぱりクチ以上の実力者。
フルートならすぐに吹けたのにとグチっていたじゅんもとは大違い。
そして三年生はつづけて、
「彼がきっと来年部長になるだろう。そしてその次は君だよ」 と。
厳しくて、無愛想で、すぐに休憩に行っちゃう先輩の
本当の気持ちを、初めて聞いた。
「『ホルンはいつでも大丈夫』って、
ずっと信頼されるパートであるように後輩にも受け継いでいってね。」
そう言って先輩は卒業してゆき、2年生になった。