大阪に帰還してきました。移動が多かったこともあり、多少肉体的に疲労してる感じ。ただ、速攻でいつものカフェに来て、この記事を書いています。やはり、書くことが好きなんだな、とこういうときに感じます。
昨日、メルマガを配信したのですが、たくさん返信いただきました。感想など送ってくださった方、ありがとうございます。励みになります。
では、今日の本題へ。
私は今26歳ですが、私が子供のときくらいから「ゲーム」はすごく身近なところにありました。
しかも、その頃くらいからゲームの質もすごく上がってきたように感じます。本当に面白いものが多く、私は実は結構ゲームは好きです。
もうロールプレイングゲームなど長いものは一切できなくなってしまいましたし(時間の無駄に感じてしまう)、ハマってしまって仕事が手につかない、なんてことはありません。
ゲームの面白さを認める一方で、それより面白いものが人生にはたくさんあると知っているし、やりたいことがあるので、面白いからといってずっとやっているということはありません。
ただ、ここで考えてみたいのは、その面白さはどこから来ているのか、ということ。
よく言うことではあるのですが、ゲームが面白いのは適切な課題が与えられているから。
つまり、できそうで、できない。というちょうど良いバランスがあって、「乗り越えるべきもの」が存在することが大事なんです。
ドラゴンクエストをやっていて、レベル1で「ひのきの棒」を持っているときにラスボスが出て来たら、ゲームを「そのへんの棒」で殴りたくなってしまいます。
逆に、レベルがどれだけ上がっても「スライム」しか出て来なかったら、マジで面白くありません。
適切な課題があって、その課題を乗り越えていくところに、面白さがあるわけです。
最近では、「人とつながる」という要素も入ってきていますね。私はよく知りませんが、オンラインでつながって一緒にプレイできたり。
つまり、『一緒に』課題を乗り越えるという面白さもプラスされたわけです。
で、それっていうのは、ゲームの世界だけの話ではない、というところがポイントで。
私たちの日常生活の中でも、なぜ毎日に張りが生まれたり、楽しいものになるかというと、
適切な課題があるからだったりします。(あと、仲間の存在)
課題がなくなってしまうと、することがなくなり、ただ時間を潰すだけになってしまう。
ゲームの世界でも、乗り越えるべきものがなくなれば、もうすることがなくなってつまらなくなるでしょう。
それと同じで、私たちの人生もやはり「乗り越えたいもの」があるから面白くなる部分があって。
例えば、私の場合で言えば、「もっと良いものが書きたい」とか「もっと人間についての研究をしたい」「もっとたくさんのことを知りたい」「もっとたくさん映画を観たい」「もっと良い男になりたい」とか。
色々ありますけど、自分なりに課題を持って、それを乗り越えていこうとする毎日が楽しいわけですね。
で、そこには終わりもないわけで。終わりのないゲーム。死ぬまで楽しめる。
てか、ゲームより面白い。
だって、何が起こるか分からないわけだし、何より「リアル」だから。自分の人生を生きているわけで、現実が本当に変わっていくわけだから。
生きるということは、こんなに面白いものなのか、という感じです。
そういった姿勢が失われてしまうからこそ、毎日がつまらなくなるわけで、したいと思えることもなくなってしまう。
ただ、ここで大事なのは、そうやってこのリアルの人生から「乗り越える」楽しさや歓びを得ていくためには、
「自分にはできる」という思いが必要だということ。
最初から諦める癖、「どうせ俺なんか」と言ってしまう自己イメージの低さ。人生を斜めに見る態度。純粋性を失った歪んだ心。
そういったものがあると、乗り越えようとする意志が生まれなくなってしまう。
ゲームの世界で、「もうあのボスは倒せないよ…。俺なんて…」と言ってしまったら、もうそのゲームはやらなくなりますよね。
でも、「絶対にあのボスは倒せる」と思っていたら、地道にレベル上げに励んだり、お金を貯めていい武器を買ったりし始めます。
自分を諦めなければ、この人生から歓びを得ることはできるけれど、
自分を諦めてしまえば、乗り越えるための行動をやめてしまい、その結果することがなくなってしまう。
することがなくなれば、人生がつまらなく、味気ないものになってしまう。
だから、自分を信じるってことは大前提で大事なことであって。
そして、何か「乗り越えたいもの」があることは、それがあるというそのことだけで、幸せなこと。
そういうものが存在するということだけで、素晴らしいことだったりします。
その自覚を持っていれば、もっと楽しく、もっとプラスの気持ちで課題に取り組んでいけると思うんですね。受験勉強だって、そう。
「乗り越える楽しさ」を感じながら、日々を過ごしてみてくださいね。
ではでは、今日はこのへんで。