私のプログラムにおいては、1日12時間とか勉強する人がたくさんいますが、1日12時間の勉強というその事実だけで認められることはありません。
たとえ1日12時間勉強していたとしても、その勉強が「実質」を意識した中身のある勉強であるか、が大事。
そして、実質を意識した中身のある勉強というのは、想像以上にハードです。
というのは、自分と、自分の勉強と、そして過去問と徹底的に向き合わないといけないから。
頭を使います。思考します。考えながら、向き合いながら、突き詰めながら学習します。
その作業は決して楽なものではないのです。
私は、1日12時間勉強しているだけの人は、「楽をしている」とみなします。
相当厳しいですね。笑
というのは、「○○していたらいいだろう」という発想がそこにはあるからです。
今回で言えば、量をこなしていたらいいだろう、という発想。
「○○していたらいいだろう」というのは、楽で安易な発想です。
この発想をしている限り、実力はなかなかついてきません。
これは勉強の全てにおいて言えます。
過去問演習していたらいいだろう
単語暗記していたらいだろう
有名なこの参考書をやっていたらいいだろう
ダメです。その発想自体がダメ。
私のプログラムでは、こういった発想ができなくなるくらい徹底的に根本部分を叩き直していきます。
「○○していたらいいだろう」というのは、自分の頭で考えていないし、自分の実力、自分の勉強と全く向き合っていません。
自分置き去りで勉強している状態になってしまっています。
向き合っていないから、考えていないから、そんなことができるのです。
真剣に考え、自分や過去問と向き合っている人間がそういう風に考えることは不可能です。考えられません。
量をこなしていたらいいだろう、というのも同じで、量をこなしさえすれば、努力しさえすれば合格できると思っている。
そんなことはありません。
見当違いな勉強をしているのであれば、たとえ量をこなしたって成績は上がりませんし、目標は達成できません。
そして見当違いな勉強をしてしまうのは、自分の頭で考えず、勉強と向き合っていないからです。
これは、全ての分野において言えます。
人間関係でも、「とりあえず褒めていればいいだろう」とか「愛想良くしていればいいだろう」とか。
それは、相手を全く見ていません。
相手を見ず、テクニックに主眼を置き、しかも自分で考えることを放棄しています。
これは、楽をしているのです。
たとえすごい数をこなしたとしても、楽をしています。
そして、楽をすればするほど、力はつきません。
しかも、楽をしているのに、数はこなしているから「俺は頑張っている」となる。
そういう風に勘違いしていると、『勉強しているのに成績が上がらない』という状況が生まれます。
私から見れば、それは勉強していることにはなっていません。
成績が上がっていないのですから。
厳しいことを言うようですが、大事なのは著書『勉強の結果は「机に向かう前」に決まる』でも書いた通り、「実質」なんです。
中身があるかどうか、それが結果につながっているかどうか、です。
徹底的に、そこにこだわるのが私の勉強法であり、そうであるがゆえに、厳しいものだと言えるでしょう。
1日12時間勉強しても、「全然ダメ」と言われるかもしれないわけですから。笑
ちゃんと考え、向き合い、その上で勉強しているか。
明確に、的確に、学習できているか。
そこが大事です。