相談「常にスマホを見てしまい、勉強できません」 | 受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

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今日は、毎日たくさん届いている相談メールに回答をしていきたいと思います。


こんな相談です。


『はじめまして、大学四年生です。いつもメルマガ読んでます!


とても、毎日の更新が楽しみです(^O^)


いきなりですけど、相談です。


自分は、携帯依存症です。


自覚があります。LINE、Twitter、Facebookなど、常に見ています。


今年は大学院に進学します。その状況にも関わらず、携帯を離せません。


自分の夢から遠のいてるのは、わかるんですけど、現実、そう簡単に離せないんです…


携帯依存症をやめたら、たくさん自分の時間が作れるのは、わかるのに…


こんな相談メール間違えかもしれませんが、


少し意見を聞かせていただけたらなと思います。


今後のブログ、メルマガ等の更新楽しみにしてます!!』


はい。


これは、現代に生きる誰もが抱える問題の一つだと思います。


相談者の方がまだいいのは、それを自覚していることです。自覚しない人の方がほとんどでしょう。


知らない間にSNSを見て、知らない間に時間が経っていて、やるべきことができていない。


そうやって人生が停滞していく。


そんな状況が、生まれていると思います。著書『勉強の結果は「机に向かう前」に決まる』でも、その危険性については書かせていただきました。


私も今、意図的にfacebookから離れている状態です。もうすぐ再開しますが、そこにも意図があるわけで。


で、そのような「何かに依存しているとき」というのは、少し大袈裟ですが、心に穴があいていて、その穴を埋めるために依存している、と考えてみてください。


例えば、何かに夢中になっている人はSNSをチラチラ見ることはしません。


もっと厳密な言い方をすれば、「見る必要性を感じない」。


SNSを見るという行為は、逃避行動としてよく行われます。


まず、自分がただ逃避しているだけなのではないか、ということを検討してみてください。


私自身のことを言っても、文章を書いているときに、行き詰まるとついついfacebookを見てしまう、とか。


見れば何かしらの更新があるわけで、いつも読んでいる人が更新しているかもしれないわけで。


ある程度はいいと思うのです。待ち時間、移動時間などちょっとした時間にチェックすることで、実際に情報収集になったり勉強になったり、ということがあります。


ただ、今回の相談者の方のように、常に見ているという状態ですと、そこにいい情報があったとしても、それを生かしきれない、学んだことを実践できない、ということになってしまいます。


それでは結果も出ません。


では、どうすればいいか。


SNSを離れることを考えるよりも、「何をするか」を明確にすることです。


大学院生だったら理想は「勉強」ということになると思うのですが、夢中になること、熱中することを見つける。


もし勉強に夢中になれないということであれば、何でもいいです。


運動でも読書でも漫画でも映画でもドラマでも会話でも何でも。


まず、SNS依存を断ち切る、ということを考えるなら、何でもいい。


そこで、SNSなしでも生活できる自分を取り戻していきます。


そういうものがない時代にも人は生きていたわけで、別になくても生きていくことはできます。


そのことを、何かに集中する時間を取ることで実感してみる。


SNSを見る暇のないくらいに予定を入れてみてもいいでしょう。


電車でSNSを見そうになったら、本を読む。ハードルが高ければ漫画でもいいです。


理想は勉強です。受験生だったら単語帳を見るとか。


そうやって、他のことをすることでだんだんと離れていく、という方法があります。


ただ、もう少し根深い問題が存在するケースについても考えてみましょう。


周りの人間が何をしているか気になる。置いてけぼりになってやしないか、あいつは誰と遊んでいるんだ、みんなの状況を知っておかなければならない、


一人になりたくない。


正直に言えば、私にはこの気持ちは分からないのですが、しかしそういう人もいることでしょう。


いつも周りとつながっていたい。寂しい。


だから、せめてSNSでつながる。


これは、先ほどの話よりも少し根深い問題を秘めています。


そもそもの自分の在り方の話にもなってきます。


なぜそこまで他人とつながっていたいのか。


それは、自分を拠り所とすることができないからだし、本当の心の通ったつながりを持つことができていないからでしょう。


深いつながりを持たない人は、つながることを必要以上に求めます。


自分を拠り所にできない人は、誰かに依存することでその穴を埋めようとします。


結果、必要以上にSNSを見るという状況が起こってしまう。


自分と向き合いたくない、課題と向き合いたくない、一人は嫌だ。誰かとつながっていたい。


当然、人間は本当の意味で孤立して生きていけるものではありませんから、つながりは必要です。


しかし、それがスマホ依存などの形で出ると、本来向き合わなければならない課題と向き合うことができず、


人生が上手くいかなくなってしまう、ということにもなり得ます。


そんなとき大事なのは、自分を拠り所にすること。


先ほどの話とつながってきますが、


自分がやりたいことをやること。これさえあれば、というものを創ることです。


私の場合は、文章を書くこと、読書すること、映画を見ること、カフェにいること。


それだけで満足します。究極、ノートに向き合って考えているだけで満ち足ります。


紙とペンさえあれば、それでいいのです。本なんかがあった日にゃあ、天国です。


今はスマホで映画も観れますし。


歩いたり走ったりも好きだし、筋トレも好きです。


もう、何もいらないのです。


とは言え、そこに安住するのではなく前に向かって行くのですが。


言いたいのは、心の拠り所があるか、ってこと。


自分を拠り所にするからこそ、他人とも深くつながることができます。


実は。


自分を拠り所にできない人は、他人を自分を慰めるために「使っている」に過ぎません。


他人を道具にしているだけです。


そんなものは「愛」でもなければ、「友情」でもない。


お互いがお互いを利用し合い、自分を満たす道具として使っているだけなのに、「これが愛かあ」「友情かあ」と勘違いする。


しかし、どこか不安。


本当はつながっていないから不安なんです。


自分が相手を使っている人は、自分が相手から使われていると感じるものです。


全ては、自分の問題です。


長くなりましたね。


今回は以上です。