この文字列をあなたに差し上げます。
僕には毎年6/14になると思うこととやることがあって、まずは感謝。漠然といろいろな人や物に感謝する。
今朝は4時に起きてとりあえず高菜先生を始め6匹の猫たちに「ありがとう」と触れてまわった。今日はそういう1日にする。
20歳になった時に母親に感謝していると手紙を書いた。なんて書いたかはよく覚えてないけど、レターを買うお金もないからそのへんの紙に書いて、何かでもらった封筒にいれて送った。
それがこの恒例イベントの始まり。
自分の誕生日っておとなになるとだんだん祝ってもらうこともなくなってくるじゃないですか。
そもそもスケジュールあわないとか仕事してるとかもう大体それだし、そもそも集まるほど盛大にやるようなもんでもないっていう気分になってくる。
僕の場合は今日店のオープニングイベントってことでいろんな人と会いそうだけど、これには理由があって。
誕生日にわざわざイベント打つとか気使わせちゃって悪いなと思うんだけどある流れを作りたいなと思って。
今後は誕生月または誕生日が近い人を主催者にしてイベントを作っていきたい。
その人の友だちが集まり、そこで感謝を伝えられるような場所にしたい。
おそらく祝ってもらう可能性が高いのはあるけど、それも良いんじゃないかって言う。
それで7月も8月もイベントをやりますけど「誕生日にこそ感謝を伝えたい」って人いたら声かけてください。
高菜先生と共同でイベントをやりましょう。何も出来なくても大丈夫。天才高菜先生がなんか考えます。
そんで、今日はあえて2つの同じ意味の言葉について話してみようと思います。
【感謝】と【ありがとう】について。
人間はなぜ他の動物と違って社会や物を作れたかというと、コミュニケーションがとれたからです。
猫も犬も考えることは出来ます。
つまり意識は存在していて、好きとか嫌いっていう感情も当然ある。
けどそれを言葉や文字として発することが出来ない。
だから猫の歴史は始まっていないのです。
人間の歴史の始まりは「有史以来」という言葉があるように、史が始まった頃に遡ります。
史とはつまり文字なのです。
言葉があっても、それを残すすべが無かった。
文字を書き始めて人類の歴史が始まり、今に至る中で人間の生きる術もルールも変わってきた。
猫には起こらなかったイノベーションなのです。
言葉や文字を介してコミュニケーションをとり生産をするようになった人類は、シンプルにそれが有効だと思ったのでしょう。
そうして発展してきた今になってはもうわからないかもしれないけど、かつて人は誰もが生産することに命をかけていた。
今はコンビニに行けばおにぎりがある。
誰が作ったかよくわからないけどとりあえず100円ちょっとでおにぎりが買える。
そういう時代の中で米を炊く、握るみたいなことに対する大変さを知らずに育つ人もいる。
もっと言えば耕す、植える、育てる、収穫する。
そこに対する大変さはほとんどの人が知らないだろう。僕も知らない。
本来食べるということはとてつもなく大変なことだったんです。
それをお金さえ払えば全行程をすっ飛ばして口に入れられるものが手に入る現代は、長い人類史からすると画期的な時代と言わざるを得ないでしょう。
その代わりに人はお金に縛られ、お金に依存し、お金を奪い合うこともするようになった。
朝起きて畑を耕す生活、朝起きて満員電車で通勤する生活、どちらが幸せかはよくわからないけど、とにかく現代は後者で発展しているわけで、結果的にスマホやネットがあり僕はこの言葉を発することが出来ている。
ただ人間の本質はやはり動物的だと思っていて、社会的には文化的理性的であるべきなのだろうけどもバランス的には半分半分くらいが理想なんじゃないか?と僕は思う。
現代はあまりに文化的すぎる。堅苦しい。
だからもう少し息を抜いて、本質を見てみても良いんじゃないかと思うのです。
それで「ありがとう」と「感謝」の違いだけど、ありがとうは"想い"なのです。
有り難い、あることが難しいとは、つまり「当たり前じゃないよ」っていうこと。
猫と暮らすことも、会社があることも、ご飯を食べれることも、本当ならなにもない。災害が起きたら全部なくなるかもしれない。
だから有り難い。
猫に布団にトイレされたり、ムカつくこともあるでしょう。その難も含めて有り難いと"想う"こと。
それがありがとう。
感謝は想いではなくアクションなのです。
感は「心が動く」こと、謝は「言葉を発する」こと。
つまり感動を伝えること。
どちらも大切なことだけど、意味を知ってる知らないじゃちょっと変わってくる。
古来から日本は農作物に感謝する国だった。
天皇陛下が2000年以上わからずやっていることは「自然に感謝」なんです。
ペルーなんかもそうだけど大きな収穫祭があって太陽の祭りと呼ばれている。
日本はそういうことをパーティみたいにやらず、しみじみとやる。
そこに奥ゆかしさや趣を感じ、日本人で良かったような気がするのです。
ラテンのパリピも好きだけど。
そしてそれらはどこに行き着くかというと【祈り】なのです。
宗教じみているとかではなくて、それが人間の本質。
有り難いももとを辿れば仏教的発想なのでそれこそ宗教なんだけど、僕はやっぱ「感謝する」みたいなことが大切な気がしていて、つまりアクション。
それをするのに一番いい日が誕生日なんじゃないかと思う。
たくさんの人に祝ってもらうのも良いけど、逆で良いんじゃないかと。
自分が病気になったり、社会が病気になったり、いつかそういうことができなくなる日がかならず来る事がわかっているから今日朝を迎えることが有り難いし、できれば毎日そう思って生きれるくらいのレベルにはなりたい。
太陽が上ることに感謝する、ご飯を食べることに感謝する。
そんなことが出来たら毎日幸せだろうなと思う。
嫌なことは世の中にたくさんあるだろうし、生きてて辛いことのほうがたぶん多い。
だけど幸せだと思える瞬間が1個もないと、そんな世界は絶望的すぎる。
基本的に世界は地獄的で辛いものだと思っているけど、自分次第でどうにでもなると思っていて、だから僕は全く辛くもないし苦しくもない。
猫に感謝できることだけでも、なんか少し幸せを感じられる。
良いかどうかはわからないけど、悪くない。
そういう事に30代になってちゃんと気がつけて、もう何年も経つけどたぶん間違ってない。
自分の歴史もまた、言葉とともにある気がする。
何千万文字と書いてきたし、いろんな人と話をしてきたけど、もっと伝えていくことをしたいなとも思う。
なんか米にありがとうとバカ野郎をいい続けるとバカ野郎の方は腐ってくみたいな話があるけど、それもマジだなと思う。
何が大切かは人それぞれだけど、少なくともバカとか言うよりはありがとうのほうがいい。
人に感謝することを意識してる反面、会社の人とか身近な人には怒こることもあるんで、気をつけなければと書いてて思った。
というか今年は怒らないようにしよう。
そもそもあんまり怒るタイプではないんだけど仕事のことになるといろいろ思っちゃうので、やっぱ現場にいかないのが1番かなぁ。わからん笑
けど感謝は大切なので、ぜひやってみてください。