可哀想、心配、力になりたい、

誰かがやらなきゃ、

未来の日本のため、とか。


私のなかから出てきた言葉、

これは、危険なフラグだ、と思った。


あ、助けたい、とかも。


自分の中の空虚な穴を、

外側の何かで埋めてしまっていいのかな。


「私は無価値だけど、

こんなボランティアを頑張っているから、

無価値ではありません」


正気に戻ったら、

無価値を感じた心は何も変わってなくて、

無価値のジャッジから解放されていないことに気付く。


ボランティアや寄付や善行や発信などの行動は、

全く悪くない。


私のマインドが

無自覚に蠢いたままなのが問題なんだ。


目の前の外側の問題は、

私が勝手に問題にしている。

内側の問題から目をそらしたいだけ。


最低なことを書いちゃおう。

優越感や上から目線で承認欲求を満たしている。

やって「あげている」傲慢。

これがない、とは言えまい。



どんなアカンタレでもいいんです。

自己満足のマウント💩野郎でいいんです。

と思ってここ、1年。


冒頭の危険フラグが立ちました。


そのままの自分への解像度が上がってきた、

または、

アカンタレやり続けるのに飽きてきた証拠。


さらに深く内側へ向き合っていこう。