今ある「いのち」すべて勝手に生まれてないんだよ。
私の「いのち」は一本の「いのち」の一部なんだ。
その「いのち」を「無量寿」と申す。
人間生まれて「いのち」が始まり。
人間死んで「いのち」が終わる。
そんなもんじゃないんだ。
「いのち」はずーと続いてる。私はそれを賜っているだけ。
恩師は「空気みたいなもんだ。」
と申す。
ここからここまでが私のものなんて、横着な考えは出来ないんだ。与えられてるものを頂いているだけなんだ。
さあ「寿(いのち)」に帰ろう。
帰命無量寿如来
お盆がやって来る。一本の「寿」に触れるんだ。
その感動が供養だよ。
供養が出来ない「いのち」はない。一人で生まれてきた「いのち」は無いからだ。ただすこし、それを忘れてしまうのが私なんだ。
みんな大きな「寿」の一部なんだ。
自分勝手な「いのち」が不可思議の「寿」に帰るんだ。