そこに人間的な愛はあるのか?《こえのブログ》 | 純己メソッド公式ブログ

純己メソッド公式ブログ

純己メソッドの活用法などの紹介や純己メソッドマスターの活動報告をしています


こんにちはおがわじゅんこです。今日はスピリチュアルを語る人が良くする勘違いについてお話ししたいと思います。よくねなんか失敗とか上手くいかないこともそれもいいのよ~みたいな、何でもいいのよ~なんでも愛なのよ~みたいなことを言う人がいるんですけど、確かにうまく行かないっていうことを経験してるので、それが良くないことっていうのもまあそれはそれで一つ決めつけであり思い込みなんですけど、ただね私たちには感情っていうものがあるので、やっぱり失敗は嫌だしできればうまくすんなり行きたいしって言うね、その失敗すれば辛い訳ですからそこに感情っていうものがあるのでちょっとね、そのただね上手くいかないことは愛なるのよ~だからいいのよ~えへへみたいなのは


あまりにもちょっと人間ぽくないって言いますかね。例えばあなたがうまくいかない、例えばそうね、お母さんが子供が例えばいじめられてきていじめられることもひとつの経験だからいいのよ~えへへって笑ってたらどうです?愛されてるって思います?思わないですよね。やっぱりそこはいじめてる子に対して怒ってくれてやっぱりそんなことするなんて!言って怒ってくれるから愛を感じませんか?そんなの嫌だっていうふうに自分と同じように私、自分が辛い経験していじめられ辛い経験をしていることに対して同じように嫌だっていう意思表示をしてくれるからこそお母さんに愛を感じるわけであって


そこにでいいのよ~えへへって言われたら愛は感じませんよね?だから人間的にやっぱりその時にね嫌だとか辛いっていうことに関して、それは嫌だよねそれは辛いよねとかっていう風に思ってくれることが愛であって、そこに創造主が何でも経験だからいいのよって言って笑って過ごすっていうところに愛は感じられないですね。それはだから創造主の愛であって人間的な愛はまた違うからですよが。それを勘違いして何でもいいのよって言って過ごしちゃうのは人間の愛ってそこにあるか?っていうこともちょっと考えてもらったらなと思います。今日はこんな感じで時間が足りないので終わります