更新してなくてすみません。
アメンバー記事を読まれていた方は心配のメッセージもいただいてありがとうございます。
父の病気の事を書きます。
父は現在肺癌からの多臓器転移で末期です。
癌が見つかったのはハル君が生まれてすぐ。一昨年の夏です。
健康診断で肺に影がみつかりました。
特に何も症状はなくバリバリ働いてました。
腫瘍はそれほど大きくなく、当時は手術でとれば大丈夫だろうと思っていたんですが、
詳しく検査をした所、リンパに転移が見つかりました。
その為一気にステージ3aという状態で、5年生存率は30%未満。
ステージ3aはまだ手術が適用されるので、原発の腫瘍をとり、更に抗がん剤投与をしました。
肺を切り取ったので、術後はよく咳をしてましたがそれも良くなり元気になりました。
しかし、一年後の去年の夏に血液検査の腫瘍マーカーの値が上がり、仕事を休職。
その頃もまだ症状は何もなくすごしていました。
母も仕事を辞め、父の治療に専念することに。
やったのは食事療法や温熱療法。他にもちょこちょこありますが。。。
癌だなんて思えないくらい元気で、ゴルフも楽しんで箱根や鬼怒川に旅行も行きました。
12月だったかな?
検査で肝臓に転移が見つかり、余命10ヶ月と言われました。
手術はできないと言われ、体を痛めつける抗がん剤はやらないことにしました。
1月あたりからかな?腰や背中が痛いと言うようになりました。
その後は左足の付け根が痛いと言うように。
2月には痛くて歩くのに左足をかばうような歩き方で、速度も落ちました。
日毎に痛みが増し、
3月、震災からちょうど2年の日。
あまりの痛さに歩けなくなり、入院して検査。
結果はびっくりするくらい全身に転移してました。
色んな臓器や色んな骨。
中でも骨転移はかなりの痛みを伴います。
一番痛かった左足の付け根は骨が溶けてほとんどなくなっていました。
脳にも数ヶ所転移していて、余命1~2ヶ月と言われました。
そして入院してから今日までの2週間たらずで父の姿はすっかり変わってしまいました。
入院した2週間前は車イスで何とか移動して、自分でトイレも行ってました。
毎日母が新聞を持っていって、忘れると不機嫌になってました。
それが、1週間たったくらいからしんどくて新聞を読むこともテレビをみることもなくなり、
日毎に色んな変化が出ました。
脳転移のせいで声がでなくなり、
自分で食べていた食事を母が食べさせるようになり、
食べる量も数口程度になり、
車イスでトイレに行くこともできなくなり、オムツをつけることになり、
意識がはっきりしなくなって朦朧とし、起きている時間がほとんどなくなり、
喋っていることが理解できなくなり、
酸素吸入の管を鼻につけるようになり、
心電図をつけるようになり、
ついに一昨日、食事をストップすることになりました。
飲み込むのがうまくできなくなり、気管に入って肺炎を引き起こす危険があるらしく、栄養や水分は点滴から補うことに。
もう、人間らしいことが何もできなくなってしまいました。
唯一、食事の時間は起こしてなんとか食べさせて父が生きていることを実感できていたのに、それもなくなってしまいました。
1つずつできることがなくなっていくのが本当に悲しくて、
痩せこけた父がかわいそうで、
何とか聞き取れた言葉も意味不明で、
他にも病院で色々なことがあって、本当にかわいそうで悔しい。
母が一昨日から泊まるようになりました。
先日、担当医に新たな血液検査の結果を見せられ、
進行がかなり早くて、数値がとても悪く、これから急変の可能性もあると言われました。
急変と言われた母と私は初めて本当に死が近いことを実感し、
その夜は電話ごしに母と泣きました。
父の人生は波乱万丈で大変だったけど、でも弟もこの4月から社会人で子育ても終わり、
後何年かしたら定年で、これからやっと楽しいことが待っていると思っていたのに癌になってしまいました。
父と母は若い頃は借金があって、遊んで楽しむ間もなく一生懸命働いていました。
借金を返してからも一生懸命働いて、私たち姉弟も私は高校から私立、弟は中学から私立に行かせてもらい、大学を卒業することができました。
父と母は仕事の休みが合わなかったので、私たち姉弟が大きくなってからも二人で出掛けたり外食したりということがほとんどありませんでした。
父の仕事は大変だったけど、高給で貯金もとてもありました。
けどケチな性分から、贅沢することができない人でした。
癌になってから行った旅行も、いつ行けなくなるかもわからないのに安い宿に泊まり、
私や母が提案した良い宿は却下。
結局贅沢もしないままここまで来てしまいました。
まだまだしたいことが沢山あったはず。
やっと最近見つけた趣味のゴルフも、まだまだこれからでした。
弟がこれから社会人になって、そしたら会社帰りに男同士で飲みに行きたかったかもしれない。
弟の結婚も見届けたかったと思います。
55歳。まだまだ全然若くて、本人も死を受け入れられてなくて、
それ故に死ぬことの準備もせずにここまで来てしまいました。
悔しいだろうな。
ここ数日でかなり意識レベルが低下してきました。
今日は問いかけても反応がないことがほとんどで、目を開けることもほとんどありません。
もう会話ができません。
親戚にはまだなんとか意識があって少し話せる時に会わせられたから良かった。
色んな人を呼ぶと、本人が最期だと実感してしまうのがこわくて、親戚と会社の友人だけを呼んでいました。
何年も会ってないような人が来ると、あぁ終わりかって本人が感じてしまうのが嫌でした。
明日は私の友人が来るけど、寝てる間に顔を見てもらう感じでしか会ってもらえないのが少し残念。
でも、友人も今の父を見せたら逆にショックかなぁ~とか色々考えてしまいますね。
その友人と父が最後に会ったのは2年前の私の結婚式の時だから、
まだ元気で、娘の晴れ姿が嬉しくて酔ってとても楽しそうにしてた父が一番新しい記憶ってことで。
ショックだと思うけど、友人もすごく早くにお父さんを亡くしてるからきっと私のことすごい心配してくれてると思うし、
私は思ったよりは冷静な時もあるから、私が元気な所も見せておかないとね(笑)
夜はちょっと精神的にまいっちゃうことが多いけど、日中は意外と冷静なんです。
あれしなきゃこれしなきゃと、現実的なことを考えてます。
ブログもあと一つモニター記事が残ってるんだよなとか思ったり(笑)
その時が来たらどうなってしまうかわからないけど、それまではいつも通りの私で父に接したいと思っています。
なんだかまとまりなくツラツラと長く書いてしまってすみません。。。
なんかこれを書くことによって少し気持ちの整理がつきました。
まぁまたすぐに落ちこんでつらくなるんですが(笑)
そんな感じで、次のブログはいつになるかわからないし
もしかしたらすぐ残ってるモニター記事だけアップするかもしれないですが、近況報告でした!
メッセージ、返信できなくてすみませんm(__)m
でもちゃんと全部読ませていただいて勇気づけられてます。パワーをありがとうございます。
できるだけ父の側にいることと、泊まり込みで朝に着替えに帰るだけな母の手伝いを少しでもできるように、私も実家の掃除洗濯頑張ります!
しかし、そのせいで自分の家が一番汚いという(゜ロ゜;
Android携帯からの投稿
アメンバー記事を読まれていた方は心配のメッセージもいただいてありがとうございます。
父の病気の事を書きます。
父は現在肺癌からの多臓器転移で末期です。
癌が見つかったのはハル君が生まれてすぐ。一昨年の夏です。
健康診断で肺に影がみつかりました。
特に何も症状はなくバリバリ働いてました。
腫瘍はそれほど大きくなく、当時は手術でとれば大丈夫だろうと思っていたんですが、
詳しく検査をした所、リンパに転移が見つかりました。
その為一気にステージ3aという状態で、5年生存率は30%未満。
ステージ3aはまだ手術が適用されるので、原発の腫瘍をとり、更に抗がん剤投与をしました。
肺を切り取ったので、術後はよく咳をしてましたがそれも良くなり元気になりました。
しかし、一年後の去年の夏に血液検査の腫瘍マーカーの値が上がり、仕事を休職。
その頃もまだ症状は何もなくすごしていました。
母も仕事を辞め、父の治療に専念することに。
やったのは食事療法や温熱療法。他にもちょこちょこありますが。。。
癌だなんて思えないくらい元気で、ゴルフも楽しんで箱根や鬼怒川に旅行も行きました。
12月だったかな?
検査で肝臓に転移が見つかり、余命10ヶ月と言われました。
手術はできないと言われ、体を痛めつける抗がん剤はやらないことにしました。
1月あたりからかな?腰や背中が痛いと言うようになりました。
その後は左足の付け根が痛いと言うように。
2月には痛くて歩くのに左足をかばうような歩き方で、速度も落ちました。
日毎に痛みが増し、
3月、震災からちょうど2年の日。
あまりの痛さに歩けなくなり、入院して検査。
結果はびっくりするくらい全身に転移してました。
色んな臓器や色んな骨。
中でも骨転移はかなりの痛みを伴います。
一番痛かった左足の付け根は骨が溶けてほとんどなくなっていました。
脳にも数ヶ所転移していて、余命1~2ヶ月と言われました。
そして入院してから今日までの2週間たらずで父の姿はすっかり変わってしまいました。
入院した2週間前は車イスで何とか移動して、自分でトイレも行ってました。
毎日母が新聞を持っていって、忘れると不機嫌になってました。
それが、1週間たったくらいからしんどくて新聞を読むこともテレビをみることもなくなり、
日毎に色んな変化が出ました。
脳転移のせいで声がでなくなり、
自分で食べていた食事を母が食べさせるようになり、
食べる量も数口程度になり、
車イスでトイレに行くこともできなくなり、オムツをつけることになり、
意識がはっきりしなくなって朦朧とし、起きている時間がほとんどなくなり、
喋っていることが理解できなくなり、
酸素吸入の管を鼻につけるようになり、
心電図をつけるようになり、
ついに一昨日、食事をストップすることになりました。
飲み込むのがうまくできなくなり、気管に入って肺炎を引き起こす危険があるらしく、栄養や水分は点滴から補うことに。
もう、人間らしいことが何もできなくなってしまいました。
唯一、食事の時間は起こしてなんとか食べさせて父が生きていることを実感できていたのに、それもなくなってしまいました。
1つずつできることがなくなっていくのが本当に悲しくて、
痩せこけた父がかわいそうで、
何とか聞き取れた言葉も意味不明で、
他にも病院で色々なことがあって、本当にかわいそうで悔しい。
母が一昨日から泊まるようになりました。
先日、担当医に新たな血液検査の結果を見せられ、
進行がかなり早くて、数値がとても悪く、これから急変の可能性もあると言われました。
急変と言われた母と私は初めて本当に死が近いことを実感し、
その夜は電話ごしに母と泣きました。
父の人生は波乱万丈で大変だったけど、でも弟もこの4月から社会人で子育ても終わり、
後何年かしたら定年で、これからやっと楽しいことが待っていると思っていたのに癌になってしまいました。
父と母は若い頃は借金があって、遊んで楽しむ間もなく一生懸命働いていました。
借金を返してからも一生懸命働いて、私たち姉弟も私は高校から私立、弟は中学から私立に行かせてもらい、大学を卒業することができました。
父と母は仕事の休みが合わなかったので、私たち姉弟が大きくなってからも二人で出掛けたり外食したりということがほとんどありませんでした。
父の仕事は大変だったけど、高給で貯金もとてもありました。
けどケチな性分から、贅沢することができない人でした。
癌になってから行った旅行も、いつ行けなくなるかもわからないのに安い宿に泊まり、
私や母が提案した良い宿は却下。
結局贅沢もしないままここまで来てしまいました。
まだまだしたいことが沢山あったはず。
やっと最近見つけた趣味のゴルフも、まだまだこれからでした。
弟がこれから社会人になって、そしたら会社帰りに男同士で飲みに行きたかったかもしれない。
弟の結婚も見届けたかったと思います。
55歳。まだまだ全然若くて、本人も死を受け入れられてなくて、
それ故に死ぬことの準備もせずにここまで来てしまいました。
悔しいだろうな。
ここ数日でかなり意識レベルが低下してきました。
今日は問いかけても反応がないことがほとんどで、目を開けることもほとんどありません。
もう会話ができません。
親戚にはまだなんとか意識があって少し話せる時に会わせられたから良かった。
色んな人を呼ぶと、本人が最期だと実感してしまうのがこわくて、親戚と会社の友人だけを呼んでいました。
何年も会ってないような人が来ると、あぁ終わりかって本人が感じてしまうのが嫌でした。
明日は私の友人が来るけど、寝てる間に顔を見てもらう感じでしか会ってもらえないのが少し残念。
でも、友人も今の父を見せたら逆にショックかなぁ~とか色々考えてしまいますね。
その友人と父が最後に会ったのは2年前の私の結婚式の時だから、
まだ元気で、娘の晴れ姿が嬉しくて酔ってとても楽しそうにしてた父が一番新しい記憶ってことで。
ショックだと思うけど、友人もすごく早くにお父さんを亡くしてるからきっと私のことすごい心配してくれてると思うし、
私は思ったよりは冷静な時もあるから、私が元気な所も見せておかないとね(笑)
夜はちょっと精神的にまいっちゃうことが多いけど、日中は意外と冷静なんです。
あれしなきゃこれしなきゃと、現実的なことを考えてます。
ブログもあと一つモニター記事が残ってるんだよなとか思ったり(笑)
その時が来たらどうなってしまうかわからないけど、それまではいつも通りの私で父に接したいと思っています。
なんだかまとまりなくツラツラと長く書いてしまってすみません。。。
なんかこれを書くことによって少し気持ちの整理がつきました。
まぁまたすぐに落ちこんでつらくなるんですが(笑)
そんな感じで、次のブログはいつになるかわからないし
もしかしたらすぐ残ってるモニター記事だけアップするかもしれないですが、近況報告でした!
メッセージ、返信できなくてすみませんm(__)m
でもちゃんと全部読ませていただいて勇気づけられてます。パワーをありがとうございます。
できるだけ父の側にいることと、泊まり込みで朝に着替えに帰るだけな母の手伝いを少しでもできるように、私も実家の掃除洗濯頑張ります!
しかし、そのせいで自分の家が一番汚いという(゜ロ゜;
Android携帯からの投稿