絵のタイトル:『藍陽』

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の伝統色の藍色が

わたしはとっても好きなんです。

 

そこで調べてみると

『藍』という色だけで

48色もあったんです。

 

藍色と一言でいっても

これだけある。

 

やっぱりそこに

じーんときます。

 

『ヒト』って生き物も

『ヒト』の数だけ個性があって

 

ひとりたりとも

同じ人っていない

 

んです。

 

『わたし』とは

ひとりだけなんです。

 

だから、

 

存在そのものに

どえらい価値

がある

 

んです。

 

だから、

 

良さそうに感じる

どこかによせてみたり

 

誰かがいいって言うから

そうしてみたり

 

こうしなさい

って言われたから

従ってみたり

 

それだけで

『わたし』という

 

このどえらい価値が

ガクっと

さがってしまう

 

んです。

 

 

理由はシンプル。

 

唯一無二の

オリジナルでは

なくなってしまう

 

から。

 

この世に存在する

たった1人の『わたし』

 

その『わたし』が

表現するからこそ

 

誰かと同じではないから

『わたし』だけ

できるからこそ

そこに価値があるんです。

 

 

実際、世の中で

販売しているものって

そのものが

少なければ少ないほど

 

その値段って

基本的に上がりますよね。

 

ベタなところだと

ダイヤモンドとか。

 

それなのにひとたび

人間の個性については

 

何かよしと決めたものに

近づくことに価値がある

 

誰かがよしと決めたものに

なれることに価値がある

 

みたいな感じに

なぜか私たちは

思い込まされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと話が

広がってきてしまったので、

タイトル名の話に

戻ります。

 

 

 

イラスト『藍陽』を構成している

もう一つの文字

 

『陽』を辞書で調べてみると

 

日の照らす方。光のさすところ。ひなた。


ということでした。

 

この絵の

タイトル名には

 

誰一人として

同じ人はおらず

光のさすところは

人それぞれ

 

という意味を込めています。

イラストの子は

『藍』の中に

自分だけの『陽』を

映し出して

喜びに溢れている姿です。

 

 

 

 

『わたし』にとっての

『ほんとう』の

光のさすところ

 

誰かが「そうだ」といっても

『わたし』にとっては

そうじゃない。

 

こっちなんだ。

 

その自分だけの光

見つけられたとき

 

深い安心感とともに

ほんとうの意味での

人生がはじまっていくんです。

 

といいつつも

 

正確には

 人に合わせ続けることによって

『わたし』にとっての『光』を

見失ってしまったいうことで、

 

その光が

どれだけ大事か

っていうことが

わかった

 

ということも

生まれてきた意味として

大切な大事な出来事だと

わたしは思います。

 

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