先日、元姑のもとに子供達を連れて行った。


病院のICU。。


その日のお昼に義妹から元姑が厳しい状態にあるとのメールがあり、しかし、元夫からは何の連絡もない。


ちょうど春休みの子供達にどうするか聞いた。


長女は元々、この時が来たら会いに行くと言っていた。


長男は「なんで今なんだよ!」と怒った。

小6から不登校になり、少しずつ段階を経て、中3になる4月からは教室登校にチャレンジする事を決めていた。

だから今が1番不安な時。

何でこんな時にストレスをかけて来るんだと怒った。


祖母に会う事よりも、父親に会うかもしれない事が2人にとって、そして私にとっても大きなストレスだった。


でも「最後の区切りをつける」というのは、私の性格上とても重要な事で、あとから後悔したくなかった。


「お母さんが一緒なら行くよ」という息子の言葉で私の心は決まった。


愛犬を叔母に預ける手配をし、

私は義妹に電話をした。

「3人で行くから」

そう言って、元姑や元夫との状況を確認すると、

元夫は自分の母親と(実家と)絶縁していた。

病院にも来ない、最期の時にも立ち会わないと言われたと。


私は義妹の泣きながらの感謝の言葉を聞きながら、

元夫が病院に来ない、会わないで済む事に安堵していた。


祖母のいる病院まで、車だと40分ほど。バスとタクシーを乗り継ぐと1時間半は超える。

お金も時間もかかる。

車を出してくれる人を探したが、そうよね、みんな仕事中。


ただでさえお金はギリギリの生活。

正直、誰か車出してー!誰かお金出してー!って叫びたかったが、

もう後のことは後で考えよう。

(でも、不思議なことに、養育費やら給付金やらで今はお金のある時期。「行け」って事だったんだろうな)


アルバイトに出ていた娘が帰るのを待って、バス、タクシーで病院に向かい、夕方病院に着いて、子供達をおばあちゃんに会わせる事ができた。


(元姑との面会時のこととか、面会に至る前の事は書くと長くなるから、またいつか書けたら。。。)



帰りに交通費と夕食用にとおにぎりと飲み物を渡された。

渡された物は全て有難かった。タクシーで帰ることができて、すぐに夕食を食べることができて。

それでも3人とも「疲れた、疲れた」を連発していた。




私は、夫と別居する際に姑と義姉と揉めた。

そしてやっぱり、私の中にその怒りはまだある事を確認した。

でもそれも私。いつかこの怒りが学びに変わってくれたら理想だよね。





私達が帰った1時間後くらいに、子供達のおばあちゃんは息を引き取ったそうです。


お疲れ様でした。

お世話になりました。