先日の「その時歴史が動いた」、みなさんご覧になったでしょうか?豊臣秀吉の軍師であった「黒田如水」についてでしたね。私は彼のことをあまり知らなかったのですが、去年の大河ドラマ「功名が辻」で出ていたので、ちょっと興味が有って観てみました。


秀吉の死後、家康と光成が対立する中、如水は九州を切り取り始める。彼は、その勢いで、中央へ攻め上り、関ヶ原の勝者と戦い、天下を取るつもりだったのだ。しかし、長期化すると思われた関ヶ原の合戦は、わずか半日で終わってしまい、如水は天下をあっさりとあきらめた。さて、如水には長政という息子がいた。如水は家康を安心させるため、長政を家康の元に送っていた。長政は、父の野望など知らず、家康のために奔走し、家康を勝利に導いた。息子の長政は家康に「この勝ちは長政殿のおかげ」と、その手を何度も握られた。得意になった長政は、如水にこのことを詳しく話すと、如水は苦い表情で「手を握られたのはどちらの手か」と聞いた。長政が「右手でした」と答えると、如水は「その時おまえのの左手はいったい何をしていた」と言った。


さて、この言葉が意味すること、みなさんはおわかりでしょうか?

左手があいていたなら、その手で家康を殺すことができただろう、なぜそうしなかったのだ。

如水はこう言っているのです。長政はその時初めて父の野望を知り、絶句したそうです。

初めから長政に自分の真意を説明しておけば良かったじゃないかと思うんですが、そこはやはり戦国時代。誰が味方で誰が敵かもわからない。自分の身内でさえ信用できない時代。難しいものですね。


でも、この言葉、なんだか私はすごく好きです。今更言ってもしょうがないと知りつつも、言わずにはおれなかった如水の気持ちを考えると、感慨深いものがあります。