先日、阿蘇に旅行に行った際、一心行の大桜を見に行きました。残念ながらまだ時期が早く、花はまったく咲いていませんでしたが、これほどの巨木に桜が満開になったら、さぞ綺麗だろうなあ、と思いました。
大きな桜を見ると、次の歌を思い出します。
願はくは 花の下にて 春死なむ
そのきさらぎの 望月の頃 西行(『山家集』)
(願いが叶うことなら、桜の花の下で、春に死にたいものだ。
お釈迦様が入滅したという如月の望月の頃に。)
この和歌が有名なのは、西行が本当に願い通り、二月十六日に亡くなったからです。二月は桜の時期じゃないと思われるかもしれませんが、現在の暦と一ヶ月ほどのずれがあるので、現在の三月十五日頃ということになるのです。
さて、西行が願い通りの死を遂げたことを知り、藤原俊成は次のように詠みました。
願ひおきし 花のしたにて をはりけり
はちすの上も たがはざるらん 藤原俊成(『長秋詠藻』)
(願い通り、桜の花の下で生涯を閉じたそうだ。
極楽往生も間違いないだろう。)
人は、誰でも一度は「こんな風な最期を迎えたいな」ということを考えたことがあると思います。
私なら、彼の腕に抱かれて、眠るように逝きたいなあ、なんて思います。
あなたはどうですか?