月欠け夜空の寝言唄

月欠け夜空の寝言唄

☪︎*。꙳寝言を呟く 月と猫が好きな物書きポエマー。

 

 

基地の朝は早い。

湿った土の匂いと、微かに混じる航空燃料の香りが鼻をつく。

整備兵たちの金属音が遠くで響いているが、それ以外は驚くほど静かだ。

 

出撃前の身支度をする。

身に纏う飛行服は、昨日までのそれとは少し重みが違うように感じる。

鏡を見ることもなく、淡々と紐を締め、千人針を胴に巻く。

指先の感覚はいつも通りだ。震えてもいなければ、熱を帯びてもいない。

ただ、冬の朝の冷気が、布越しに肌を刺している。

 

最後の食事。食堂には、白い米と味噌汁が用意されていた。

湯気が細く立ち上り、消えていく。

箸を動かす音だけが、等間隔で室内に落ちる。

 

「美味いな」

 

誰かが呟いたが、誰もそれに応えない。

胃に落ちる熱が、自分がまだ生きていることを無機質に伝えてくる。

 

飛行場の滑走路には、九九式艦上爆撃機が並んでいる。

朝日を浴びた機体は、鈍い光を放っていた。

風防を拭く整備兵の背中を見て、ふと思う。

あの男の家には、まだ幼い娘がいたはずだ。

 

遺書は昨晩、机に置いた。

「お元気で」

それ以上、書くべき言葉が見つからなかった。

感謝も、後悔も、愛着も、この薄暗い空の色に溶けて、ただの記号になってしまったようだ。

 

 

操縦席に身を沈める。

計器の針が、エンジンの始動とともに細かく震え始める。

チョークが外され、機体がゆっくりと動き出した。

 

視界の端で、誰かが白い布を振っているのが見える。

それはただの風景の一部だった。

スロットルを押し込む。

重力が背中を押し、尾輪が地面を離れる。

 

高度が上がるにつれて、地上の喧騒も、人の営みも、すべてが小さな模型のように縮んでいく。

プロペラの回転音だけが、耳を支配していた。

雲の切れ間に、青い海が見えた。

 

今日は、よく晴れている。