今日の雨は雨・・

「トッケビ」キム・シンが悲しんでいるから・・かなにんまり


korepoより・・

「コラム」コン・ユ主演『トッケビ』の神秘な世界に酔う!

http://korepo.com/archives/463518



超人気脚本家のキム・ウンスクが長く温めていた企画としてドラマ化された『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』。コン・ユが高麗時代から900年以上も生き続けている驚異の人物を演じているのだが、ドラマでは神秘の世界が存分に展開されていた。その世界は、今までに想像したことがないものだった。

奇想天外の世界
数年前の韓国ドラマでは、時代を超えてタイムスリップするという設定の作品が多かった。現代人が過去の一時期にタイムスリップしたり、過去の人物が現代に甦ったり……。一種のブームのように、タイムマシン的なドラマが作られた。
さすがに食傷気味になったと思っていたら、今度は度肝を抜かれるような異質のドラマが制作された。それが『トッケビ』だった。
この『トッケビ』の場合は、一連のタイプスリップものとは明らかに違っている。人間が時空を超えて他の時代に移っていくのではなく、900年以上も前の人間が現代までずっと生き続けているという設定だ。
「こんな奇想天外なことをよく思いつくね」
率直にそう思うのだが、そこは脚本家のキム・ウンスクの腕が冴えわたっている。
実際、『トッケビ』が描く世界は変わりすぎている。人間が1千年近くも生きているし、ドアを一歩出れば地球の反対側にも行くことができる。

もしかして現代人も……
『トッケビ』の中で当初一番驚いたのが、コン・ユが演じるキム・シンは、胸に剣が刺さったまま現代をさまよっているという設定だ。「トッケビの花嫁」と呼ばれる女性を見つけて、その剣を抜いてもらわなければ安らぎの世界に行けない。
そんなキム・シンが同居しているのが、死にゆく人々を天界に導く死神だ。イ・ドンウクが演じているが、その存在はどこかコミカルで、死神らしくない。そこがまたドラマの狙いでもあるのだろう。

キム・シンは、ようやく「トッケビの花嫁」としてウンタクと出会う。この女性もまた普通ではない。自分にだけ幽霊が見えていて、キム・シンの命運を握る絶対的な存在にもなっている。
以上のように、『トッケビ』というドラマは、「こんなにも空想の世界を楽しませてくれるのか」というほどに神秘的だ。
そんな世界に酔いながらふと考えてみる。「現代人の誰もが胸に剣が刺さったまま生きているのではないか」と……。

四度の人生
苦悩がない人はいない。
みんな、それぞれに悩みながら毎日を必死に生きている。
それは、言ってみれば、胸に剣が刺さったままと同じ状態ではないのか。ただ、その剣は見えていない。
そうであるならば、その剣を見える人を探すのもまた人生の目的である。

そして、どんな人であれ後ろから死神に追われていることには違いがない。「死」は避けられないものであり、人間は早かれ遅かれ「生の世界」から「死の世界に」に移っていかなければならない。
こうしてみると、『トッケビ』の究極のテーマは、「生」と「死」が交差する世界でどう生きるか、ということであろう。
劇中で「人間は生まれ変わって四度の人生を経験する」ということが描かれる。一度目は種を植え、二度目は水をやり、三度目に収穫して、四度目に食べる……。

誰かの分身かも
人間が四度の人生を経験するならば、果たして自分は何度目の人生を歩んでいるのだろうか。
そう考えてみるのも、『トッケビ』というドラマがあったおかげだ。人間にとって最も根源的なことを描いている。
究極的に言えば、コン・ユが演じるキム・シンも、イ・ドンウクが扮する死神も、キム・ゴウンが演じるウンタクも、私たちを取り巻く「生」と「死」をくっきりとした形で見せてくれる人たちなのだ。
異なる世界に生きているように見えて、実は私たちのすぐそばにいる人たちの分身なのかもしれない。
そう考えると、神秘の世界が現実味を帯びてくる。
美しい映像と俳優たちの演技に魅せられながら、『トッケビ』が描く「空想と神秘の世界」を堪能できるのは、幸せなことだ。


いろいろ考えさせられるドラマでしたね。

自分に「死」が訪れたとき、ドラマのように死神が迎えに?来るのかと・・

あの世に行く前に、記憶を消すお茶を飲むのかな・・とか。。

まさしく!「空想と神秘の世界」でしたね。