1917年のロシア共産革命を巡る内戦でロシア皇帝側に立って闘ったウクライナや白ロシア (現在のベラルーシ) は、勝利した共産革命政府によって厳しく弾圧されました。
1941年6月22日にナチスドイツ軍が進撃して来た時に、ウクライナの住民は、”解放軍が来た” と喜んだそうです。
その後のナチスドイツ中枢部のスラブ人奴隷化政策によってドイツ軍とウクライナ住民、白ロシア住民との中も徐々に悪くなってゆくのですが、前線では、まだこの写真のような微笑ましい住民とのやりとりがあったようです (P.K=プロパーガンダ・コムパニーが撮った宣伝写真の可能性が高いですが…)
この写真の真ん中の兵隊さんのコスプレがこちらです。
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SS第9機甲師団 ”ホーエンシュタォフェン” SS第20装甲擲弾兵連隊に所属するSS上等兵になります。
ナチスドイツ中枢部は、第二次大戦の最末期に、ソ連邦から独立する ”ウクライナ国” を承認しますが、時既に遅し。
ナチスドイツは、その数週間後にベルリンを占領されて敗北します。
もっと早いうちに ”ウクライナ国” と ”ウクライナ国軍” を承認していたならば、独ソ戦の様相は、少し変わっていたに違いありません