たとえ人と接する機会が少なくても、いまはどこかで必ず人との関わりはあるでしょう。生きていく上で避けては通れない人間関係。この人間関係という言葉を聞いただけで、気が重くなる、モヤッとしたものを感じる方も多いと思います。上手くいっている人間関係ももちろんありますが、時代が進むにつれ、社会状況により生活環境が変わり、より複雑化しているように見えます。                   







まず、私達は教育で個々よりも集団での行動を大切にするように教えられてきました。集団の中に個々があるとされることで、個性を無くす、個々を見ることがないように意図されています。そうなるとどうなるでしょうか?集団は、いきなり集団があるのではなく、個々が集まってはじめて集団になりますね?つまり個々が無視された状態で集団になったとしても、個性、価値観がそれぞれ違うのに、みんなで仲良することが当たり前とされる時点で無理があるのです。      







たとえ苦手な人でも、せめて表面的にでも仲良くしなければならないと教えられ、そう思って我慢し続ける…。そうしていくうちに人間関係って疲れる、難しい、面倒くさい…などと思うようになります。私達は個々や、個性を大切にし、尊重することを教えられていません。自分よりも周りや集団を優先することが素晴らしいと教えられています。いまの教育や伴うシステムは、支配コントロールしやすい人間を育てるために支配者達が意図して作りました。        








彼ら支配者達には、私達庶民が個々、個性を大切にし、お互いを尊重することはしてほしくありません。まとめて支配コントロールしにくいだけでなく、私達庶民が楽しくなれば、重い波動エネルギーも搾取できなくなります。私達が本来持っている価値観で、人と人とがエネルギー同士の交流ができれば関係も穏やかなものになり、人々は繋がり、協力しあうようになります。そうなってしまえば、もう彼ら支配者達がいなくても庶民だけで生活は成り立ちます。          







私達庶民は搾取されるものはなくなりますから、むしろとても自由で平和で幸せに満ちた社会になるでしょう。反対に彼ら支配者達は居場所がなくなります。それを知られることが怖いので、私達庶民にとって幸せに満ちた社会とはまるで正反対の社会になるように、教育、思考操作をしてきました。








宇宙はシンプルです。こんなにあれもこれも一人一人が問題や悩みを抱えることなど、本来ならないのです。彼ら支配者達が、真実から遠ざかるように、感覚に意識を向けない、使わせないように頭で考えることばかりに集中させ、難しいことを考えることこそ賢い人だとしました。考えること…それは思考操作されたマインドで考えることであり判断をすることになりますから、いつのまにか人生がこんなに複雑で難しいものになるのも当たり前なのです。           







人間関係が複雑で面倒なのではなく、そのように人との関わりを複雑化するように思考操作、教育されたことで結果的に悩まされるように誘導されているのです。本来の私達の価値観は、分離ではなく統合、融合ですから、深いところでは人と人との交流や繋がりを求めているのです。どこか買い物に出掛けて、ちょっと店員さんと会話して交流するだけでも、心が高揚し、あたたかくなると思います。           








エネルギー同士の交流を身体を持ってできるのは、この物質世界の地球ならではの体験でもありますし、目的の一つでもあります。分離した状態でエネルギーの交流をするということは、一体どういう感じなのかを知りたいと思ったのです。子供の頭をなでたり、握手したり、肩をポンとたたいて挨拶したり、そんな交流も身体を持っているからこそできる体験です。心がフワッとあたたかくなる、どこか安心感や信頼感のある関係や交流、繋がり…それが本来私達の人間関係であり、求めているものなのです。           






個々の、個性の価値観を尊重、感謝、尊敬し、それぞれ一人一人が自分を、人を大切にし合うことができれば、このような人間関係になっていきます。それには刷り込まれたマインド、頭で考えて判断するではなく、感覚からくるひらめきやアイデア、ふっと湧いてきた答えを信じ意識して判断していくことで、だんだんと思考が変わり、思考が変われば行動も変わり、現実も変わっていきます。本来持っている人と人との繋がりに対する価値観を思い出すことができれば、いま持っている人間関係へのイメージが少しずつ変わっていくのではないでしょうか。        







最後までお読みいただきありがとうございます♪