私達の住む地球には、庶民を支配コントロールする存在がいますが、その支配者達はありとあらゆる制約や制限を美辞麗句にすり替え、私達庶民に刷り込んできました。その中の一つにカルマ(罪)と徳という概念があります。この行いはカルマを積み、これをすれば徳を積む。カルマを積めば死後は罰を受け、来世ではさらに辛く苦しい場所に行き、徳を積めば反対に死後は幸福感に満ちたところ、高い次元へ行くことができるなど、よく言われる天国と地獄、みなさんの死後の世界は、だいたいこのようなイメージでしょうか?
結論からお伝えしますが、そのような天国や地獄はありません。安心して下さい。カルマや徳、そのようなものも一切ありません。このようにたくさんの不安や恐怖に常に縛りつけることで、私達庶民が自由に楽しむことを、自分で判断し、好きに人生の選択をすることができないようにしてきました。彼ら支配者の価値観に従い、判断することを正しいことだと刷り込み、私達庶民をコントロール、ミスリードしてきたのです。
でも、カルマや徳って神様や大天使が伝えていることで、闇の存在の支配者の価値観ではないでしょ?と思われる方もいらっしゃるかも知れません。まず、神と呼ばれる存在、光と闇、天使と悪魔など、宇宙にはそのような特別な存在はいません。高次元だから高貴な存在ということもありません。ワンネス、宇宙の全ての存在は、絶対無限の存在から分身した個性の意識エネルギー、同じ存在です。
神や天使…全ては支配者トップのレプティリアンが作った幻の存在、価値観です。レプティリアン自体が幻でしょ?と思われるかもしれませんが、私達以外にも宇宙人は無数に存在しています。種族がたくさんあるのです。地球にしか生物がいない、科学で理解できないものない、科学で解明できないものは怪しい、疑わしいものだと刷り込まれているので、いまだに宇宙人はいるのかいないのかの議論がされているのです。地球人の私達も、地球以外に住む宇宙人から見れば宇宙人なのですが。
まず、絶対無限の存在は、自分とは何かを知りたくて自分を分身した個性の意識エネルギーに、善悪も何もなく、ただそれぞれの個性の存在がしたいことを自由に体験してもらいたいと思いました。ですので、たとえ私達の教えられた、刷り込まれた価値観では犯罪になることでも、絶対無限の存在にとってはありとあらゆる全ての体験が、素晴らしい貴重な体験なのです。
絶対無限の存在は、宇宙の存在のすべての自由や価値観を尊重し、自分の変わりにあらゆる体験をしてくれていることに感謝、尊敬しています。それが究極の愛であり、絶対無限の存在は愛そのものなのです。つまり私達庶民が善悪で判断するような、しているようなものは宇宙には本来何もないといことなのです。ですが地球のルールや常識、倫理観や道徳観ではどうでしょうか?全てにおいて既に決められたものに従い、そこに従えば善とし、従わなければ悪とされています。
絶対無限の存在の思い、愛とはまるで正反対が当たり前とされているのです。では、ギリシャ神話や古事記など、そこで神や天使とされる存在はいったいどのようなことをしていましたか?争い、男女のもつれ、奪い合いなど私達庶民としていることは何も変わらないですね?もし神が高貴な存在なら、争いや男女のもつれ、奪い合いなど、するはずがないのではないでしょうか?しかももしカルマがあるのであれば、教えを説く存在であれば、そのようなことをすればカルマになるからできないはずではありませんか?もしカルマというものがあるのなら、この神や天使と言われる存在のしていることには大きな矛盾が生じます。
つまりカルマ、徳、そのようなものはないのです。ないと分かってるからそのような行いを彼らはしているのだ、ということです。だから平気で支配コントロールできるのです。徳というのは、彼ら支配者の価値観に都合よく動くように意図して刷り込まれたものです。一見、世の為人のためにのと美辞麗句が並べられた素晴らしいとされる価値観も、中身は自己犠牲をしなさいと言っているのです。自分達支配者のために犠牲になって働きなさいということなのです。
私達がもし、この天国と地獄を信じていれば、思考が現実を創造しますから、死後に本当にこのような幻を見てしまうこともあるのです。死んで身体を脱いでも審判などありません。ただ個性のあなたの意識エネルギー体に戻るだけです。洋服を着ても脱いでもあなたはあなた、何も変わらないのと同じです。そして地球での体験が終わったら、それぞれのタイミングで絶対無限の情報の海に融合し、素の意識エネルギーに戻って、またそれぞれのタイミングで新たな、素晴らしい体験をしに自由に遊びに行くのです。
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