この、みんなは1人のために…のフレーズはどこかで聞いたことはあるかと思いますが、最近ではスポーツの場、運動会、体育祭など集団で何か一つの目標に向かっていく時に、一致団結するときに使うことがあるかも知れません。聞いたまま受け取ると、とてもお互いに相手を思いやるような言葉に感じますね。
この言葉、表面的には響きがいいですが、要するに国のために私達庶民は働きなさい、戦いなさい。という意図が隠されています。お国のため、天皇のため、家族のために…みんなのために、国のために役目を果たしなさい、そのためなら自己犠牲は仕方がないと言葉をすり替えて、思い込ませたのです。彼ら支配者や政府はよくこの言葉のすり替えを上手く巧みに使っては、必ず逃げ道を作りながら私達庶民に、さも自らが選択した、選択しているかのようにミスリードするのです。
そして逃げ道を作ることで、何か反発があったときにも、自分達政府には責任はありません、あなたたち国民がそれを望み、選択したからという態度や発言でいつもシラを切り通すのです。最初から計算済みですから、あんなに表情一つ変えず当たり前のようにシラを切れるのです。もし本気で私達庶民のために良かれと勧めたことが、思うような結果にならなかったとしたならそのような態度になるはずがありません。
みんなのためにあなたがいるわけでなく、あなたはあなたのためにそこにいるのです。みんなが、それぞれ自分のために生きているのです。よく、家族のために働く、世のため人のために社会貢献するという言葉を聞きますが、それが刷り込まれた価値観なのです。みんなそれぞれが自分の現実を自分の思考で作っています。誰もが自分が主役であり、自分以外の人は現実の中では脇役、登場人物であり、それぞれのお互いの役割を演じているに過ぎないのです。
誰も人の人生を生きることはできませんし、変えることもできません。自分だけの人生を生きていて、自分が決めて行動するから自分の現実を変えることができるのです。一人一人、自分の現実は自分でしか作れません。誰かのためにと思うのであれば、まずは自分の現実を楽しく生きることが大切なのです。自分に余裕のない、楽しくない状況で、心から人に気持ちよく手を差し伸べることはできないのです。
誰かのために、何かのための自己犠牲は、結果誰も幸せになれないのです。もしあなたのために誰かが犠牲になって、本人の楽しみや幸せを放棄してまで何かしてもらったとしても、あなたは心から嬉しいと思いますか?むしろ見てると痛々しくて、とても心苦しくなるのではないでしょうか?相手の方に対して、もっと自分のこと考えたらいいのにと、思ってしまうのではないかと思います。
それぞれ一人一人が、まずは自分の現実を楽しむことが一番大切なことなのです。その姿をみれば周りの人も楽しいエネルギーに共振し、楽しくなってきます。怒っている人、いつも疲れてる人の近くにいると自分までイライラしたり気分が沈んできたりしますね?そのように、私達はお互いに持っているエネルギー、オーラとも言われますが、エネルギーの共振をしたり、お互いのエネルギーを感じとったりしているのです。
人のためよりも、まずは自分のため。それは冷たい人でも思いやりがない人でもありません。わがままなわけでもありません。そのように刷り込まれ、思い込んでしまっただけなのです。自分を大切にできない人は人を大切にできません。自分を大切にしてる人は人を大切にできます。あなた自身を大切にしないで人のために生きても、誰もあなたの責任は取れないのです。
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