メールはツールでしかないはずだ。
高校生の頃はメールが会話のごとく長く続けばいいと思っていた。好きな子とどうでもいいメールで朝4時までメールラリーをしたことがある。ここ最近だ、俺にとってのメールの在り方に変化が。
メールは最低限のツールでしかないこと、それで充分であると気づいた。連絡するため、確認するため、良いかダメか。そんなもんで充分だと。奥田民生の歌に「何と言う」という歌があるが、それに近い。「嬉しいとき何と言う、嬉しいですという。それでいいんだ言葉なんか」
年をとるとシンプルにいこいいこうとする。コンパクトにまとまろうとする。
メールもそうなんだ。
ただそれは俺の価値観。だからそれを否む存在がいるのも事実。今日ある人とメールでやり取りをしていたら、批判のような一文が添えられていた。ふざけるなと。メールでいうなと。考えてみてほしい。メールは言葉しかない。文章の打ち方一つ、相手の汲み取り方一つで間違って伝わることがある。もっと真剣にメールを打ってくれ。
そして「このメールを送ったら、相手はどう理解してくれるだろうか」と真面目に考えろといいたい。
俺が間違っているかもしれない。でも相手はきっと気づかない。
メールの在り方を考えた1日でした。
