2016年11月28日(月)

 

南青山MANDALAで、仲井戸“CHABO”麗市ソロライブ。

<「月曜の夜」今日歌いたい唄。>

 

「ザ・バンドのビッグ・ピンクみたいに、いつか自分のアトリエにしたい」「スタッフのみなさんもたまには遊びに来てよ」などと冗談めかして言ってたほどチャボが気に入っているMANDALAにて、このひと月に4回行われたソロライブの最終夜。全曲RCを歌った前週に続いて、観た。

 

「今日歌いたい唄」は、果たして古い曲あり、一昨日作ったばかりというホヤホヤの新曲あり、カバーもあり。まさに新旧織り交ぜての「今日歌いたい唄」だった。

 

1週目と2週目を観てないので断定はできないが、恐らくこの4回のなかで、3夜目の「RCを歌う」がチャボにとっての山場だったんじゃないか、とは思う。やはりほかの3夜とはちょっと違う、特別な気持ちで臨んでいたんじゃないだろうか。

 

観客にとっても「RCを歌う」チャボを観るのはやはり特別なことで、あの日の会場にはそういう意味で普段のライブとは少し違う空気が流れていたように思う。一言で書くなら濃密な空気。聴きながら泣いているひともいたし(まあ、自分もだけど)。

 

それに比べると、昨夜の観客は恐らく3夜目ほどは構えてなかっただろうし、チャボもあの夜よりはリラックス(この言葉が的確かどうかわからないけど)していたように思う。急遽オマケで歌った橋幸夫&吉永小百合の「いつでも夢を」なんてのもあったくらいだから、ひとつのテーマで全体をしっかり構成するというより、まさに「今日歌いたい唄」を歌いましたということなのだろう。

 

ライブの強度や濃度に関して言えば、やはり前週の「RCを歌う」のように、テーマとそこに向かうチャボの意志が明確に伝わってくるもののほうが上であると言えるだろう。構成的にもドラマ性があり、僕は傑作映画を観終えたような深い感動と余韻を味わった。がしかし……まあこれはファン心理でもあるけれど、昨夜のように一貫したテーマがなさそうな(実際はあったのだけど、それは後述)「今日歌いたい唄」を歌うライブもとても楽しいし、いろいろなチャボの面が味わえてよい。これこそファン心理だが、曲順を間違えてMCをし直し、意外にけっこう動揺してるチャボを観れたのも(こう言っちゃなんだが)面白かった。テーマと構成のしっかり練られたライブはそりゃあ素晴らしいが、そうじゃないライブはそうじゃないライブなりの“いい感じ”があるということ。しかも、それがかえってドラマチックにもなりうるということを、昨日のライブを観て思ったのだった。

 

「楽しい」気持ちで聴ける曲が割合的に多かった気がするが、グッとくる場面、染み入る歌もいくつもあった。「魔法を信じるかい?」の幼き日のたっぺいくんとももちゃんのコーラスにじっと耳を傾けてるチャボや、清志郎がふたりに歌唱指導してるときのことを話してるチャボにグッときてしまったのもそのひとつ。挙げたらキリがないが、こういうチャボの優しさだったり可愛さだったりがたまらなくいいんだよなーとか思った場面がいつくもあった。

 

この日はわりと正面に座って観ることができたこともあってだろうけど、アコギ弾きとしてのチャボの表現力の凄さにもやたら感じ入ってしまったライブだった。あと、いくつかの曲の頭だったり終わりだったりに流すあり曲の一部や効果音、その巧みな使い方。弾き語り…つまり歌とギターだけなので、リズムボックスを用いたりもチャボはしないのだが、そうしたあり曲の一部や効果音をそこに重ねることでグッと立体感が増して景色が立ち現れる。チャボはその表現方法における第一人者なんじゃないかとさえ、改めて昨夜思ったりした。

 

ところで、一貫したテーマがなさそうな「今日歌いたい唄」を歌うライブと先に書いたけど、実際はというと“テーマに近いもの”がひとつあった。古井戸だ。

 

この日、チャボは古井戸の曲を6曲(だったかな?)歌った。初めは「次は古井戸の曲やるね」といったふうに、たまたま全部の中のほんの1曲といった感じで「らびん・すぷんふる」を歌ったものだが、あとで清志郎の話に絡めて「コーヒーサイフォン」をやり、「次も古井戸の曲なんだけど」といった感じでレアな「落ち葉の上を」や「終わりです」も歌ったりした。そうして結果的には意外と多めに古井戸の曲を歌ったわけだ。とりわけこの日のライブで僕の胸に響いた1曲が「落ち葉の上を」だった。当時はそこまでこの曲のよさがチャボにはわからなかったそうだが、最近になってその歌詞が響くようになったという。歌詞を書かれた佐藤寿美さんという方は当時20代前半のはずで、その歳でこの歌詞を書いたのも凄いと言い、この曲の深さにいち早く反応していた泉谷しげるの大人びた感性にも言及していた。僕自身も当時はその歌詞の意味をそんなに理解していなかったのだが、そう言われて耳を澄まして歌詞を聴いていたら、なるほど(今頃)ガツンときた。本編の最後だったかその前だったかには「四季の詩」も歌われたが、これもまた重みがあった。チャボがこの詩を書いたのも20代前半のはず。それで「3年や4年そこいらの 見通しにすがりつく」と書くなんてのもまったく凄い。

 

アンコールで古井戸を歌っているとき、(古井戸も)「歌えるようになったんだ」とチャボは言っていた。「これも…“時間”かな」とも。RCとは違う意味で、やはり“時間”によって“歌えるようになった”古井戸の曲。去年の“再会”があったことで“歌えるようになった”曲。そのことの意味。単に「嬉しい」というだけではない思いが胸のなかで騒ぎだし、そのことについてをしばらく考えながら帰路についた。